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CASIOの社名の由来が意外と知られていない。 [社長 企業]

「G―SHOCK」開発推進の樫尾和雄氏が死去していた事がわかった。

もはや世界的ブランドとなったCASIO。

CASIOのブランド名が創業者の樫尾さんの名前が由来だとは意外と知られていない。

創業者は樫尾忠雄(読み方:かしおただお)さんだがカシオ計算機株式会社の創業メンバーは「樫尾四兄弟」と言われており、
樫尾四兄弟は、主に長兄・忠雄が財務担当、次兄・俊雄が開発担当、三男・和雄を営業担当とし、四男・幸雄を生産担当として、カシオを運営していったという。

その三男である樫尾和雄さんが亡くなった。

樫尾和雄さんはカシオ計算機の会長で、創業者の「樫尾4兄弟」の三男、
2018.6.18日、誤嚥性(ごえんせい)肺炎のため死去した。89歳だった


東京都出身。1949年に日大高等師範部英語科を卒業後、長兄の忠雄氏が創業した樫尾製作所(カシオ計算機の前身)に入社。






CASIOの創業者は樫尾忠雄さん

読み方:かしおただお


樫尾忠雄は、カシオ計算機株式会社の創業メンバーのひとりである。

1917年(大正6年)、高知県生まれ。国内電子機器業界ではあまりに有名な「樫尾四兄弟」の長兄として、創業当初からカシオを牽引してきた人物として知られている。

樫尾忠雄5歳の頃、樫尾家は、東京で働いていた叔父に誘われて一家で上京した。

忠雄は高等小学校を卒業したのち、家計を助けるために見習いの旋盤工として働き始める。そこで腕の良さが認められ、工場主の勧めもあって、働くかたわら早稲田工手学校(現在、早稲田大学)に通学するようになる。早稲田で修めた技術と知識をもとに、軍需工場などの職場を幾つか経験し、鍋、釜、自転車の発電ランプなどの作製を営んでいた。そのうちに、卓越した技能と創造性が評判となって、周囲にすっかり知れ渡るようになる。



やがて部品加工の下請けを多く頼まれるようになった樫尾忠雄は、1946年、東京都三鷹市に「樫尾製作所」を創業、精密機械の加工業として独立自営を始める。


当初は精密機械の加工を営み、後に弟の俊雄の発案で電気式計算機の開発に取り組み始める。1957年6月に完成して商品化された小型電子計算機「カシオ14-A型」は、リレー素子を採用した、純粋に電子的な計算処理をする世界初の量産型計算機だった。社名は14-A型計算機の発売に際して現在のカシオ計算機と改名され、株式会社に改組して、全国販売を展開した。

樫尾四兄弟は、主に長兄・忠雄が財務担当、次兄・俊雄が開発担当、三男・和雄を営業担当とし、四男・幸雄を生産担当として、カシオを運営していった。


電子計算機の後も、電卓、デジタルウオッチ、電子楽器、ポケットテレビ、液晶モニター付きデジタルカメラなど、画期的な製品を素早く、なおかつ低価格で発表し、消費者のニーズに応え、瞬く間に急成長をとげた。樫尾忠雄は1988年に社長から相設役へと退いた。そして1993年、逝去した。



亡くなった樫尾和雄さんは個人向け電卓を主力商品に育てたほか、90年代に社会現象にもなった腕時計「G―SHOCK(ジーショック)」の普及を推進。88年に社長に就任し、2015年に会長に就いた。1994年には藍綬褒章を受章した。


代表取締役会長 樫尾 和雄(かしお かずお、1929年1月9日 -2018年6月19日 )

代表取締役社長 樫尾 和宏(かしお かずひろ



樫尾 忠雄(かしお ただお、1917年(大正6年)11月26日 - 1993年(平成5年)3月4日[1])は、日本の実業家。カシオ計算機の創業者である。

樫尾俊雄 
1925年1月1日生まれ 2012年5月15日 87歳で死去
忠雄が社長から相談役へと退くのを受けて1988年に代表取締役会長に就任した。


代表取締役会長 樫尾 和雄(かしお かずお、1929年1月9日 -2018年6月19日 )



CASIOの現社長は

樫尾 和宏(かしお かずひろ、1966年(昭和41年)1月22日 -)は、日本の実業家。カシオ計算機株式会社代表取締役社長

樫尾和雄の息子である。




CASIOの社長は数多く名言を残している。


●●●●名言●●●●
よい種をまけば必ずよい実がなる。最善を尽くせば必ず報いられる。



これは長男である樫尾忠雄氏の言葉、創業期に社長を務めた人物で、主に財務の柱としてカシオを支えた。

成果を得るためには、まず最初の一歩を踏み出すことが必要。そして、価値の高い商品とは何か考え抜き、行動と改善を繰り返し続ければ、成功はできる。


2:カシオ(開発)樫尾俊雄氏の名言

カシオ(開発)樫尾俊雄氏の名言


「必要は発明の母」とよく言われます。それに対して私は、「発明は必要の母」を持論としています。世の中の多くの人が必要性を認識するようになった段階で開発を始めても、もう遅いんです。我々が発明した製品を見た人が「ああ、これは自分にとって必要な製品だ」と感じて、受け入れてくれる。それが理想です。

次男である樫尾俊雄氏は、名誉会長を務めた人物で、主に開発の柱としてカシオを支えた。世界初の小型純電気式計算機を初め、様々な商品を発明した。

成功するためには、顧客や社会のニーズを敏感にいち早く捉え、新しい価値を生み出すことが求められる。今はまだ無い「0から1」を創造することが鍵。



3:カシオ(営業)樫尾和雄氏の名言
カシオ(営業)樫尾和雄氏の名言
つくづく感じるのは、「過去の遺産」で食いつないでいる会社が多いということ。カシオも、兄であり会長でもあった樫尾俊雄が発明した時計や楽器、計算機など、20世紀の遺産で現在も食っている。これではダメだ。これからは21世紀の新しい資産を作らなければならない。





企業は、走り続けなければならない。挑戦を止めた企業は、いずれ衰退する。高い競争力と成長率を維持するため、イノベーションを起こし続ける必要がある。

4:カシオ(生産)樫尾幸雄氏の名言
カシオ(生産)樫尾幸雄氏の名言
いつも鮮度を求め、これでいいのかと問い続ける。そして、もっといいものがあれば、古いものをぱっと捨てて、切り替える。これが変化の速い時代に勝ち残るカギです。

四男である樫尾幸雄氏は、副社長を務めた人物で、主に生産の柱としてカシオを支えた。技術は生鮮食品と同じで、鮮度が重要であると伝えている。

そのためには、陳腐化したモノを捨てる覚悟と未来を捉える視点が重要。開発を行っている間に古くなってしまうのでは、顧客から選ばれない。


今後もCASIOから目が離せない。
むしろ創業メンバーが全員いなくなってからのCASIOがどうなるのか?

成長するか衰退するか?
現社長の樫尾和宏さんにかかっている。








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ワールドイッツマインは実在するの?瀬良明正社長とは? [社長 企業]

瀬良社長は何者なのか?
インターネット上で話題だ。
瀬良明正が設立したという、株式会社ワールドイッツマインは実在する会社なのか?ホームページもある。


会社、ワールドイッツマイン。
その社長が意識高い社長の瀬良明正だ。

先にネタをバラすと瀬良明正はアルコ&ピースの平子祐希。
お笑い芸人だ。



瀬良明正社長というキャラで意識高い系のIT社長を演じているのだ。

つまり株式会社ワールドイッツマインなど実在しない。しかし、本当に信じる人はいるはずだ。


なぜならワールドイッツマインのホームページには架空の会社である!と
書いてないからだ。

株式会社ワールドイッツマインは実在しない架空の会社だ。



しかし、本当にあったら働きたい!と思う人が大勢いるわけでワールドイッツマインの福利厚生や制度は本当に取り入れるべき会社は多そうだ。



楽しくさわぐFree wi-wi(フリーワイワイ) 
ワークの語源はワクワクからきてる。
深深深呼吸
No morning No life

などのかっこいい?言葉を残しているのが瀬良明正!







瀬良 明正(せら あきまさ)

年齢:28歳

会社:(株)ワールドイッツマイン(架空の会社だ実在しない)

役職:代表取締役社長

学歴:立命館大学を1年で中退

その後アメリカへサーフィン留学

経歴:学生時代にアプリ会社を立ち上げ、現在はIT関連企業・株式会社ワールドイッツマイン代表取締役として日々奮闘中。また、そのカリスマ性から「馬の耳にプレゼン」、「世界に打たれる杭となれ!」、「ケセラ瀬良(日めくりカレンダー)」の執筆などマルチで活躍している、注目の若手経営者。ちなみに好きなタイプは叱ってくれる人



瀬良社長が経営しているIT企業
ワールドイッツマインは架空の会社

サントリー商品開発チームと業務提携を結ばれるほどの注目企業という設定

数々の革新的な福利厚生制度を導入しており、社長自ら部下の仕事を終わらせてくれる。

【会社概要】

会社名:株式会社ワールドイッツマイン

所在地:東京都港区六本木

代表取締役:瀬良明正(Akimasa Sera)

設立:2012年4月

従業員数:1,048名(契約社員含む)

事業内容:

IT関連企業
レジャー産業
朝のワークスタイル啓発事業
福利厚生

ウルトラフレックス制度
時間も働く場所も自由に選べる
有給休暇最優先取得制度
プレミアムモーニング制度
憂鬱な月曜日をふっ飛ばすレクを導入
オフィシャルドリンク「朝ティー」配布
「働き方改革」が日々ニュースになる中、

ユニークな制度が揃っている。

有給休暇最優先取得制度というとにかく休ませる、有休を取らせる制度は「瀬良社長の会社で働きたい!」と思う人が多い理由だろう。






瀬良明正の本は本当は出版されていない。どれもネタだ。しかし、動画で読む本として動画は存在する。

実際に出版されたらそこそこ売れると思うし、実際に役立つ格言もある。

皆が皆朝型じゃない、自分らしい出勤が「you型出勤」
「サーフボードにのって、ネットサーフィン」などあからさまなネタも多々ある。


実際に会社として瀬良明正がワールドイッツマインを設立してもそこそこな会社になれそうだ。

芸能とイベント、出版とITの要素を取り入れた会社ならyou型出勤だってできる。

社内バーベキューを発展して飲食店経営だって可能だ。


瀬良明正の人気は今後も増していくはずなので株式会社ワールドイッツマインは架空の会社から実在する会社になれるかもしれない。









ネットでの反応もよい!



・瀬良社長うける!
・瀬良社長って誰だ?

・瀬良社長はルイヴィトンをルイと呼ぶ
・瀬良社長かっこよくて憧れるな。瀬良社長みたいにタワーマンション住みたい
・瀬良社長平子さんの銀縁メガネ似合ってる

・瀬良社長キャラ確立しすぎ
・瀬良社長ついていきます

などだ。
テレビにも度々出演している


瀬良 明正(せら あきまさ)
年齢 27歳
株式会社ワールドイッツマイン代表取締役
業種 IT関連企業、レジャー産業(2014年から進出)
瀬良 明正(せら あきまさ)は、東京・六本木に生息している意識高い系IT社長。
学生時代に一度アプリ会社を立ち上げを経験。喋りは基本的に早口。女性のタイプは「叱ってくれる人」。ファッションについては、ロサンゼルスに行った時にまとめ買いをしている(体型が大柄なため)。リラックスできるよう、タオル地の上下を好んで着用している。

自身が経営する会社「株式会社ワールドイッツマイン」では、社員に有給休暇を半強制的に取らせ、プライベートも仕事も全力で取り組むことを推奨している。

また、社員の退職理由について、「発展性のある辞め方ならOK」だが、「敗北感のある辞め方」なら絶対に認めない方針である。

「入社式でやたらカマしてくる意識高い系IT社長」ネタ

「辞めそうな新入社員の相談に乗りつつもカマしてくる意識高い系IT社長」ネタ

ネットでは「瀬良社長の会社で働きたい」

☆☆☆今後も目がはなせない。
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石原さとみを落としたカリスマ社長前田裕二とは? [社長 企業]

女優の石原さとみ(31)が、IT企業「SHOWROOM」の代表取締役社長・前田裕二氏(30)とゴールデンウィーク直前に2人で沖縄県を旅行していたことがわかった。

国民的に人気の石原さとみを射止めた若手社長とは、どんな人間なのだろうか?

社長ならではの豪快なエピソードや武勇伝はあるのか?

また今後はどうなる?前田裕二社長の性格は、どんなだろう?
 
前田 裕二(まえだ ゆうじ、1987年6月23日 - )は、日本の実業家。SHOWROOM株式会社代表取締役社長。

まえだ ゆうじ
前田 裕二

1987年6月23日

SHOWROOM株式会社代表取締役社長。

1987年 東京都に生まれる。
早稲田大学政治経済学部卒業。
UBS証券会社入社。
2011年 - UBS Securities LLCに移り、ニューヨークで北米機関投資家に対して株式セールス/アドバイザリー業務に従事。


2013年 - 株式会社ディー・エヌ・エーに入社。
2013年 - ライブストリーミングサービスSHOWROOM(ショールーム)を立ち上げる。
2015年 - 当該事業をスピンオフ、SHOWROOM株式会社を設立。
同月末にソニー・ミュージックエンタテインメントからの出資を受け、合弁会社化。


 前田氏は2013年11月、株式会社DeNAでライブ配信サービス「SHOWROOM」を立ち上げ、15年に事業をスピンオフする形でSHOWROOM株式会社を設立。秋元康氏や堀江貴文氏らも絶賛する若手起業家だ。



そんな前田裕二と石原さとみ2人は4月22日(日)、沖縄県・石垣島に到着。翌日からは竹富島の高級リゾートホテルのコテージで2泊した。

 石原は結婚秒読みとも取り沙汰されていたジャニーズの山下智久(33)とは破局。今年2月には山下と年下モデルのハワイ旅行を週刊誌が報じていた。







前田裕二はホスト崩れの不細工とネットで嫉妬のような反応があったが、かなりのイケメンだ。

イケメンで切れ者でお金持ちなら例え石原さとみでも落ちるかもしれない。

前田裕二を姓名判断してみた。

result2.jpeg


名字は14画で『凶』
『孤立 トラブル 不遇』
あまり良くない。



人格(主運)は17画で『吉』
『積極性 地位 財産』


人気運が人生を後押しする
困難が立ちはだかっても、それを自力で乗り越え、人生を切り開いていきます。

人あたりはソフトですが、負けず嫌いなところがあり、意志が強く、積極的で行動力があります。チャレンジ精神に富み、初志を貫徹します。経営能力にも長け、チャンスを確実にものにし、実力を発揮していきますが、人の意見を聞かず自分の意志を貫き通すところがあり、言葉もストレート過ぎるため、味方の数だけ敵を作ります。謙虚さを持てば大いに発展するでしょう。




地格(初運)は14画で『凶』
『孤立 トラブル 不遇』
人生が急展開する波乱の人 一芸に秀でていますが、挫折しやすいので、若い頃はストレスが多いでしょう。一見、冷静でおとなしそうに見えますが、内に激しい感情を抱えており、わがままで、気分屋、理想と現実が伴わないと自分を束縛して苦しみます。
周囲と打ち解けようとしません。物事がうまくいかないとすねたり、いじけたりします。




外格(助運)は11画で『吉』
『幸運 富 地位』
もの静かに成長していく人
鋭い観察眼をもち、積極的な働きかけにより、人脈が広まり、それだけチャンスも多く訪れます。 人間関係を大事にするので、多くの友人知人に恵まれます。心根の優しさと厚い孝行心があり、他人からの援助や引き立てにも期待出来ます。






総格(総運)は28画で『凶』
『翻弄 誤解 不和』
浮き沈みの激しいタイプ 陽気で生命力にあふれ、独特の感性と明晰な頭脳、純真さを持ち合わせていますが、トップを極めても成功におごっていると、転落の道へと進む可能性があります。
手を広げすぎるため、全て中途半端になってしまいがちです。目標を絞って力を集中することで自ずと道は開けます。




あまり良くない運勢なので今後が注意だ。前田裕二は浮き沈みがあるタイプのようだ。





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無料タクシー登場か?仕掛人は何と15歳で社長になった22歳の吉田拓巳社長!! [社長 企業]

最年少社長として15歳で起業したことで知られる若手実業家が、2019年3月から、日本で初めての無料の配車・運行サービスを始めることが7日、分かった。利用者は専用のアプリを使って配車を受け、車内のディスプレーに店や商品などの情報が流される。


うまくいけば凄い画期的なサービスだ

この社長とは何者なのか?

吉田拓巳社長は凄い武勇伝やエピソードをもっていそうだ。。


無料タクシーは走る広告塔として、運賃に当たる運行コストは広告のスポンサーが負担する仕組み。8日に正式に発表する。

 新会社は「nommoc(ノモック、福岡市)」で、社長は15歳で大型イベントの映像演出などを手がけるセブンセンスを設立した吉田拓巳氏(22)。

無料タクシーでは注意点が必要かもしれない。例えばヘッドホンやイヤホン禁止したりスマホを無駄に見るのも禁止したり。

距離に規制をかけたりと、、様々な疑問点が浮かんでくる。


どうやってこの無料タクシーを成功させるか?

新会社は、日本クラウドキャピタルが運営する株式投資型クラウドファンディングサービスのFUNDINNO(ファンディーノ)を通じ、目標額5000万円を調達する。8日夜に募集を開示し、12日から申し込みを受け付ける。





 無料の配車サービスは、社名と同じサービス名で、コンパクトシティーである福岡市の天神を中心に10台ほどでスタートし、東京五輪が開催される2020年をめどに、東京など主要都市での展開を目指す。その後、シンガポールなどの海外市場にも進出する計画だ。







 具体的には、米ウーバー・テクノロジーズが運営する自動車配車サービスのように、スマートフォンの専用アプリで配車を受ける。アプリからは利用者の情報が送られるため、乗車中、車内の広告ディスプレーには、利用者が関心を持っているファッションブランドやランチのおすすめなどが常時配信される。



 同社によれば、将来的にはAIを活用して利用者の行動パターンを分析したり、好みを学習したりして、顧客と企業のマッチングをより高めるという


これが本当に実現すれば新しい広告の形として定着するかもしれない。


吉田拓巳社長は若いゆえに柔軟な思考を持っているのかもしれない。

吉田拓巳はどれだけ破天荒なのか!?
吉田拓巳は元ヤンキーなのか?

など疑問が沸いてくるがプロフィールは以下の通り


吉田 拓巳(VJ TKMi)(よしだ たくみ、1995年6月29日 - )は、福岡県出身のクリエイター、VJ、実業家。

株式会社セブンセンス代表取締役社長。

15歳で株式会社セブンセンスを創業。

ジャンル問わず数々の物をクリエイションしている。最近では飲食店のプロデュースやプロダクトデザインも手掛ける。


2018年5月に移動を無料化する新サービス「nommoc(ノモック)」の開発の着手を発表した。




2007年4月 VJ TKMi名義でVJ活動を開始。
2011年6月 株式会社セブンセンスを創業。代表取締役社長に就任(現任)


2018年4月 株式会社nommocを創業。代表取締役社長に就任(現任)


あまり、破天荒なエピソードなどはなさそうだ。
そして吉田拓巳は小学生の時からプログラミングをして中学生でVJ(ビジュアルジョッキー)でデビューしたのは、凄いエピソードであり、武勇伝だが、
吉田拓巳はおそらく元ヤンキーではないようだ。

顔も、まだまだ幼い。

しかし吉田拓巳社長は苦労もあったはずだ。



15歳が実際に起業するまで、いかに準備してきたのだろう。

「はじめは法務局に行きました。その中の公証役場という所で設立登記をしました。そこで、作った原始定款を見せて公証人の認証をもらうと、ようやく会社で使う定款ができあがります」

6月28日、福岡法務局において株式会社7senseの登記が完了した。

「登記するだけなら一瞬で終わるんですが、それで完了ではないんです。書類に問題があればあとから連絡がくるので、その分だけ会社の成立が遅くなります。僕も何度か手こずってしまって……誕生日が29日なんですけどぎりぎり15歳のうちに登記が完了できてよかったですね」

若くして起業したという事例は増えてきているが、15歳で起業したという事例はほとんど聞かない。しかし、その前例があまりないゆえに「年齢の壁」という苦難があった。

「未成年だといろいろ規制があって……例えば、未成年だと登記するにも親の承諾の書類が必要だったり、審査が厳しいので銀行口座を作るのも結構手間がかかったり。あと、法務局は平日しか空いていないので、学校を休まないと登記できなかったりとか……」

未成年ゆえに、もちろん信用の問題がある。例えば、話題作りのために若い子の名前だけを借り、名目の代表取締役としているだけではないかと見られることも。

「だから、今は頑張って僕が実際に仕事をやってるっていう証明を出したりしてますね」

同世代に刺激を
「こうやって、僕が15歳のうちに起業したかったのにもわけがあるんです。僕が起業することで、下の世代や上の世代に刺激を与えたかった。こんなに若い奴が会社作ってるのか!とか、自分も負けてられない!という若い世代の人が増えてくれたらいいなあと思ったんです」

彼は起業したが、これまでと特に事業内容は変わるわけではない。要は、起業した事実を作ることで、周囲に刺激を与えたかったのだ。

「若い世代の起業が増えれば、会社法もちょっとづつ変わっていくのかなと思います。例えば、法務局を土日も朝だけでも開けるとか、銀行口座開設の対応が変わるとか」


立派な若者である。。
無料タクシーでは注意点が必要かもしれない。例えばヘッドホンやイヤホン禁止したりスマホを無駄に見るのも禁止したり。

距離に規制をかけたりと、、様々な疑問点が浮かんでくる。


どうやってこの無料タクシーを成功させるか?







今後も吉田拓巳に注目したい。


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衰退した東京チカラめしの社長の経営マジックとは?東京チカラめし社長の武勇伝とは? [社長 企業]

凄まじい勢いで急成長した『東京チカラめし』。その後、凄まじい滑り方で急落していった『東京チカラめし』。どうしてこんなにも急速な衰退が進んだのか?

凄まじい勢いの時に語っていた東京チカラめしの社長の勢いはどこへ?

かつては東京地区で伸長を続ける「東京チカラめし」が関西に出店し、「すき家」「吉野家」「松屋」の3強を脅かす存在となっていた。

「冬の時代」と呼ばれる外食産業にあって、快進撃を続けた三光マーケティングフーズ(東京チカラめしの運営会社)の平林実社長は快進撃を続けていた2013年に語っている。

平林実社長はどんな経営マジックを使ったのか?

平林実社長はどんな武勇伝があるのだろうか? 

東京チカラめし社長の平林は
「スピード感がないと、競争には勝てません。2011年6月に第一号店を出し、1年半で120店舗を超えました。2014年中には500店舗に到達したい。」





「すき家」「吉野家」「松屋」の御三家が9割のシェアを占める牛丼業界への参入には社内からもずいぶん反対されたという。



 平林実率いる三光マーケティングフーズは、個室居酒屋というスタイルを提案した『東方見聞録』や、一品270円という価格破壊を実現した『金の蔵Jr.』などで一世を風靡した。総店舗数250を超える。



いわば東京チカラめしの社長は“居酒屋の風雲児”だった。



充分な実績があったので牛丼業界に突如、参入したのは業界内外に衝撃を与えた。




「無謀」とも云える挑戦にこそ平林実氏の哲学が凝縮されているという。

牛丼は成長できると踏んだ東京チカラめし社長が行った改革は

を煮た牛丼ではなく、「焼き牛丼」で勝負に出た事だ。

パーフェクトな食感と味で東京チカラめしは世間を席巻した。

人気が出た。


平林:人生は「理想」と「現実」の狭間を揺れているようなものです。「理想」にはリスクがつきものですから、ほとんどの人が、安全志向で「現実」を取ってしまう。けれども安全の中に成功はありません。成功するためには、リスクに挑まなければなりません。


と2013年に東京チカラめし社長平林実は語っていた。



☆☆成功するためにはリスクに挑まなければならない☆☆


しかし、一気に衰退。その理由とは?



・『東京チカラめし』が衰退した7つの理由

1. 調理法を変えた
2.肉質を変えた
3.胃もたれする程の油っぽさ
4.揚げ物の質が良くない
5.東京チカラめしじゃなくても食べられる程度の味になった。
6.スピード重視になった。
7.目玉商品がなくなった。




美味しい牛丼だったが、多くの客から「遅い」「15分以上待ってるけどまだこない」「もう帰りたい」「まだ作ってないなら帰りたいんだけど」などの声が聞かれたようで調理方法を変えたという……。

早く焼けるように2. 肉質を変えたのかもしれない。

オープン当初の肉は分厚く、そしてジューシーだった。

しかし、いつのまにか「薄っぺらい油っぽいだけの肉」になってしまった。

それなのに味付けは変えないのだから

3. 胃もたれするほど油っぽくなったのだろう。


サイドメニューも弱かった、、
4. 揚げ物が改良されなかった

揚げ物のクオリティはオープン当初からあまり良くなかった、油っぽいしえぐい。
古い油でも使っているのだろうか?


焼き牛丼は注目され他店でも提供するようになった。
つまり
5. 他店でも出せる味になったのだ。


現在も『東京チカラめし』は、自身なりに商品開発に力を入れ、新しいメニューをどんどん出している。しかし、「別にここで食べなくても良い」と思える味。わざわざ『東京チカラめし』に行って食べる味ではないのだ。

焼き牛丼を出すにしても簡単なマニュアルがあるはずだ。しかし職人が焼く肉とマニフェストに従って素人のアルバイトが焼く肉では職人が経験と舌で作った焼き牛丼の方がうまいのだ。


他店に勝てないと思った東京チカラめしは牛丼大手チェーンのようにスピードを求めたのだろうか。


6. スピード重視にした
『東京チカラめし』は「料理が出てくるのが遅い」とクレームされた。そこで改良するのは良い事だが、、レシピを変更して時間短縮に力を注いだ。


商品開発部は味を保ちつつスピードアップを図ったと思うが、結果的に味は落ちてスピードだけ少し早くなった。


そして東京チカラめしは
7. 目玉商品がなくなった


『東京チカラめし』といえば焼き牛丼だ。
しかし、流行りの新メニューや季節限定などのメニューを前面に推して目玉商品が何だかわからなくなった。


東京チカラめしは復活するか?もしくは洗練された少数店舗で美味しく早い満足できる牛丼屋をやるのか?

わからない。

東京チカラめしの快進撃は衰退したが、三光マーケティングフーズはまだまだ強い。

成功するためにはリスクに挑まなければならないと語っていた平林実社長。

ここから盛り返せば「東京チカラめしの衰退は成長の通過点だった」事になる。






東京チカラめし社長つまり三光マーケティングフーズの社長、平林実はこれからどんな経営マジックを使って生き延びるのか?

これからの盛り返しが
平林実社長の武勇伝となるだろう。
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CASIOの社名の由来が意外と知られていない。 [社長 企業]

「G―SHOCK」開発推進の樫尾和雄氏が死去していた事がわかった。

もはや世界的ブランドとなったCASIO。

CASIOのブランド名が創業者の樫尾さんの名前が由来だとは意外と知られていない。

創業者は樫尾忠雄(読み方:かしおただお)さんだがカシオ計算機株式会社の創業メンバーは「樫尾四兄弟」と言われており、
樫尾四兄弟は、主に長兄・忠雄が財務担当、次兄・俊雄が開発担当、三男・和雄を営業担当とし、四男・幸雄を生産担当として、カシオを運営していったという。

その三男である樫尾和雄さんが亡くなった。

樫尾和雄さんはカシオ計算機の会長で、創業者の「樫尾4兄弟」の三男、
2018.6.18日、誤嚥性(ごえんせい)肺炎のため死去した。89歳だった


東京都出身。1949年に日大高等師範部英語科を卒業後、長兄の忠雄氏が創業した樫尾製作所(カシオ計算機の前身)に入社。






CASIOの創業者は樫尾忠雄さん

読み方:かしおただお


樫尾忠雄は、カシオ計算機株式会社の創業メンバーのひとりである。

1917年(大正6年)、高知県生まれ。国内電子機器業界ではあまりに有名な「樫尾四兄弟」の長兄として、創業当初からカシオを牽引してきた人物として知られている。

樫尾忠雄5歳の頃、樫尾家は、東京で働いていた叔父に誘われて一家で上京した。

忠雄は高等小学校を卒業したのち、家計を助けるために見習いの旋盤工として働き始める。そこで腕の良さが認められ、工場主の勧めもあって、働くかたわら早稲田工手学校(現在、早稲田大学)に通学するようになる。早稲田で修めた技術と知識をもとに、軍需工場などの職場を幾つか経験し、鍋、釜、自転車の発電ランプなどの作製を営んでいた。そのうちに、卓越した技能と創造性が評判となって、周囲にすっかり知れ渡るようになる。



やがて部品加工の下請けを多く頼まれるようになった樫尾忠雄は、1946年、東京都三鷹市に「樫尾製作所」を創業、精密機械の加工業として独立自営を始める。


当初は精密機械の加工を営み、後に弟の俊雄の発案で電気式計算機の開発に取り組み始める。1957年6月に完成して商品化された小型電子計算機「カシオ14-A型」は、リレー素子を採用した、純粋に電子的な計算処理をする世界初の量産型計算機だった。社名は14-A型計算機の発売に際して現在のカシオ計算機と改名され、株式会社に改組して、全国販売を展開した。

樫尾四兄弟は、主に長兄・忠雄が財務担当、次兄・俊雄が開発担当、三男・和雄を営業担当とし、四男・幸雄を生産担当として、カシオを運営していった。


電子計算機の後も、電卓、デジタルウオッチ、電子楽器、ポケットテレビ、液晶モニター付きデジタルカメラなど、画期的な製品を素早く、なおかつ低価格で発表し、消費者のニーズに応え、瞬く間に急成長をとげた。樫尾忠雄は1988年に社長から相設役へと退いた。そして1993年、逝去した。



亡くなった樫尾和雄さんは個人向け電卓を主力商品に育てたほか、90年代に社会現象にもなった腕時計「G―SHOCK(ジーショック)」の普及を推進。88年に社長に就任し、2015年に会長に就いた。1994年には藍綬褒章を受章した。


代表取締役会長 樫尾 和雄(かしお かずお、1929年1月9日 -2018年6月19日 )

代表取締役社長 樫尾 和宏(かしお かずひろ



樫尾 忠雄(かしお ただお、1917年(大正6年)11月26日 - 1993年(平成5年)3月4日[1])は、日本の実業家。カシオ計算機の創業者である。

樫尾俊雄 
1925年1月1日生まれ 2012年5月15日 87歳で死去
忠雄が社長から相談役へと退くのを受けて1988年に代表取締役会長に就任した。


代表取締役会長 樫尾 和雄(かしお かずお、1929年1月9日 -2018年6月19日 )



CASIOの現社長は

樫尾 和宏(かしお かずひろ、1966年(昭和41年)1月22日 -)は、日本の実業家。カシオ計算機株式会社代表取締役社長

樫尾和雄の息子である。




CASIOの社長は数多く名言を残している。


●●●●名言●●●●
よい種をまけば必ずよい実がなる。最善を尽くせば必ず報いられる。



これは長男である樫尾忠雄氏の言葉、創業期に社長を務めた人物で、主に財務の柱としてカシオを支えた。

成果を得るためには、まず最初の一歩を踏み出すことが必要。そして、価値の高い商品とは何か考え抜き、行動と改善を繰り返し続ければ、成功はできる。


2:カシオ(開発)樫尾俊雄氏の名言

カシオ(開発)樫尾俊雄氏の名言


「必要は発明の母」とよく言われます。それに対して私は、「発明は必要の母」を持論としています。世の中の多くの人が必要性を認識するようになった段階で開発を始めても、もう遅いんです。我々が発明した製品を見た人が「ああ、これは自分にとって必要な製品だ」と感じて、受け入れてくれる。それが理想です。

次男である樫尾俊雄氏は、名誉会長を務めた人物で、主に開発の柱としてカシオを支えた。世界初の小型純電気式計算機を初め、様々な商品を発明した。

成功するためには、顧客や社会のニーズを敏感にいち早く捉え、新しい価値を生み出すことが求められる。今はまだ無い「0から1」を創造することが鍵。



3:カシオ(営業)樫尾和雄氏の名言
カシオ(営業)樫尾和雄氏の名言
つくづく感じるのは、「過去の遺産」で食いつないでいる会社が多いということ。カシオも、兄であり会長でもあった樫尾俊雄が発明した時計や楽器、計算機など、20世紀の遺産で現在も食っている。これではダメだ。これからは21世紀の新しい資産を作らなければならない。





企業は、走り続けなければならない。挑戦を止めた企業は、いずれ衰退する。高い競争力と成長率を維持するため、イノベーションを起こし続ける必要がある。

4:カシオ(生産)樫尾幸雄氏の名言
カシオ(生産)樫尾幸雄氏の名言
いつも鮮度を求め、これでいいのかと問い続ける。そして、もっといいものがあれば、古いものをぱっと捨てて、切り替える。これが変化の速い時代に勝ち残るカギです。

四男である樫尾幸雄氏は、副社長を務めた人物で、主に生産の柱としてカシオを支えた。技術は生鮮食品と同じで、鮮度が重要であると伝えている。

そのためには、陳腐化したモノを捨てる覚悟と未来を捉える視点が重要。開発を行っている間に古くなってしまうのでは、顧客から選ばれない。


今後もCASIOから目が離せない。
むしろ創業メンバーが全員いなくなってからのCASIOがどうなるのか?

成長するか衰退するか?
現社長の樫尾和宏さんにかかっている。








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ワールドイッツマインは実在するの?瀬良明正社長とは? [社長 企業]

瀬良社長は何者なのか?
インターネット上で話題だ。
瀬良明正が設立したという、株式会社ワールドイッツマインは実在する会社なのか?ホームページもある。


会社、ワールドイッツマイン。
その社長が意識高い社長の瀬良明正だ。

先にネタをバラすと瀬良明正はアルコ&ピースの平子祐希。
お笑い芸人だ。



瀬良明正社長というキャラで意識高い系のIT社長を演じているのだ。

つまり株式会社ワールドイッツマインなど実在しない。しかし、本当に信じる人はいるはずだ。


なぜならワールドイッツマインのホームページには架空の会社である!と
書いてないからだ。

株式会社ワールドイッツマインは実在しない架空の会社だ。



しかし、本当にあったら働きたい!と思う人が大勢いるわけでワールドイッツマインの福利厚生や制度は本当に取り入れるべき会社は多そうだ。



楽しくさわぐFree wi-wi(フリーワイワイ) 
ワークの語源はワクワクからきてる。
深深深呼吸
No morning No life

などのかっこいい?言葉を残しているのが瀬良明正!







瀬良 明正(せら あきまさ)

年齢:28歳

会社:(株)ワールドイッツマイン(架空の会社だ実在しない)

役職:代表取締役社長

学歴:立命館大学を1年で中退

その後アメリカへサーフィン留学

経歴:学生時代にアプリ会社を立ち上げ、現在はIT関連企業・株式会社ワールドイッツマイン代表取締役として日々奮闘中。また、そのカリスマ性から「馬の耳にプレゼン」、「世界に打たれる杭となれ!」、「ケセラ瀬良(日めくりカレンダー)」の執筆などマルチで活躍している、注目の若手経営者。ちなみに好きなタイプは叱ってくれる人



瀬良社長が経営しているIT企業
ワールドイッツマインは架空の会社

サントリー商品開発チームと業務提携を結ばれるほどの注目企業という設定

数々の革新的な福利厚生制度を導入しており、社長自ら部下の仕事を終わらせてくれる。

【会社概要】

会社名:株式会社ワールドイッツマイン

所在地:東京都港区六本木

代表取締役:瀬良明正(Akimasa Sera)

設立:2012年4月

従業員数:1,048名(契約社員含む)

事業内容:

IT関連企業
レジャー産業
朝のワークスタイル啓発事業
福利厚生

ウルトラフレックス制度
時間も働く場所も自由に選べる
有給休暇最優先取得制度
プレミアムモーニング制度
憂鬱な月曜日をふっ飛ばすレクを導入
オフィシャルドリンク「朝ティー」配布
「働き方改革」が日々ニュースになる中、

ユニークな制度が揃っている。

有給休暇最優先取得制度というとにかく休ませる、有休を取らせる制度は「瀬良社長の会社で働きたい!」と思う人が多い理由だろう。






瀬良明正の本は本当は出版されていない。どれもネタだ。しかし、動画で読む本として動画は存在する。

実際に出版されたらそこそこ売れると思うし、実際に役立つ格言もある。

皆が皆朝型じゃない、自分らしい出勤が「you型出勤」
「サーフボードにのって、ネットサーフィン」などあからさまなネタも多々ある。


実際に会社として瀬良明正がワールドイッツマインを設立してもそこそこな会社になれそうだ。

芸能とイベント、出版とITの要素を取り入れた会社ならyou型出勤だってできる。

社内バーベキューを発展して飲食店経営だって可能だ。


瀬良明正の人気は今後も増していくはずなので株式会社ワールドイッツマインは架空の会社から実在する会社になれるかもしれない。









ネットでの反応もよい!



・瀬良社長うける!
・瀬良社長って誰だ?

・瀬良社長はルイヴィトンをルイと呼ぶ
・瀬良社長かっこよくて憧れるな。瀬良社長みたいにタワーマンション住みたい
・瀬良社長平子さんの銀縁メガネ似合ってる

・瀬良社長キャラ確立しすぎ
・瀬良社長ついていきます

などだ。
テレビにも度々出演している


瀬良 明正(せら あきまさ)
年齢 27歳
株式会社ワールドイッツマイン代表取締役
業種 IT関連企業、レジャー産業(2014年から進出)
瀬良 明正(せら あきまさ)は、東京・六本木に生息している意識高い系IT社長。
学生時代に一度アプリ会社を立ち上げを経験。喋りは基本的に早口。女性のタイプは「叱ってくれる人」。ファッションについては、ロサンゼルスに行った時にまとめ買いをしている(体型が大柄なため)。リラックスできるよう、タオル地の上下を好んで着用している。

自身が経営する会社「株式会社ワールドイッツマイン」では、社員に有給休暇を半強制的に取らせ、プライベートも仕事も全力で取り組むことを推奨している。

また、社員の退職理由について、「発展性のある辞め方ならOK」だが、「敗北感のある辞め方」なら絶対に認めない方針である。

「入社式でやたらカマしてくる意識高い系IT社長」ネタ

「辞めそうな新入社員の相談に乗りつつもカマしてくる意識高い系IT社長」ネタ

ネットでは「瀬良社長の会社で働きたい」

☆☆☆今後も目がはなせない。
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石原さとみを落としたカリスマ社長前田裕二とは? [社長 企業]

女優の石原さとみ(31)が、IT企業「SHOWROOM」の代表取締役社長・前田裕二氏(30)とゴールデンウィーク直前に2人で沖縄県を旅行していたことがわかった。

国民的に人気の石原さとみを射止めた若手社長とは、どんな人間なのだろうか?

社長ならではの豪快なエピソードや武勇伝はあるのか?

また今後はどうなる?前田裕二社長の性格は、どんなだろう?
 
前田 裕二(まえだ ゆうじ、1987年6月23日 - )は、日本の実業家。SHOWROOM株式会社代表取締役社長。

まえだ ゆうじ
前田 裕二

1987年6月23日

SHOWROOM株式会社代表取締役社長。

1987年 東京都に生まれる。
早稲田大学政治経済学部卒業。
UBS証券会社入社。
2011年 - UBS Securities LLCに移り、ニューヨークで北米機関投資家に対して株式セールス/アドバイザリー業務に従事。


2013年 - 株式会社ディー・エヌ・エーに入社。
2013年 - ライブストリーミングサービスSHOWROOM(ショールーム)を立ち上げる。
2015年 - 当該事業をスピンオフ、SHOWROOM株式会社を設立。
同月末にソニー・ミュージックエンタテインメントからの出資を受け、合弁会社化。


 前田氏は2013年11月、株式会社DeNAでライブ配信サービス「SHOWROOM」を立ち上げ、15年に事業をスピンオフする形でSHOWROOM株式会社を設立。秋元康氏や堀江貴文氏らも絶賛する若手起業家だ。



そんな前田裕二と石原さとみ2人は4月22日(日)、沖縄県・石垣島に到着。翌日からは竹富島の高級リゾートホテルのコテージで2泊した。

 石原は結婚秒読みとも取り沙汰されていたジャニーズの山下智久(33)とは破局。今年2月には山下と年下モデルのハワイ旅行を週刊誌が報じていた。







前田裕二はホスト崩れの不細工とネットで嫉妬のような反応があったが、かなりのイケメンだ。

イケメンで切れ者でお金持ちなら例え石原さとみでも落ちるかもしれない。

前田裕二を姓名判断してみた。

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名字は14画で『凶』
『孤立 トラブル 不遇』
あまり良くない。



人格(主運)は17画で『吉』
『積極性 地位 財産』


人気運が人生を後押しする
困難が立ちはだかっても、それを自力で乗り越え、人生を切り開いていきます。

人あたりはソフトですが、負けず嫌いなところがあり、意志が強く、積極的で行動力があります。チャレンジ精神に富み、初志を貫徹します。経営能力にも長け、チャンスを確実にものにし、実力を発揮していきますが、人の意見を聞かず自分の意志を貫き通すところがあり、言葉もストレート過ぎるため、味方の数だけ敵を作ります。謙虚さを持てば大いに発展するでしょう。




地格(初運)は14画で『凶』
『孤立 トラブル 不遇』
人生が急展開する波乱の人 一芸に秀でていますが、挫折しやすいので、若い頃はストレスが多いでしょう。一見、冷静でおとなしそうに見えますが、内に激しい感情を抱えており、わがままで、気分屋、理想と現実が伴わないと自分を束縛して苦しみます。
周囲と打ち解けようとしません。物事がうまくいかないとすねたり、いじけたりします。




外格(助運)は11画で『吉』
『幸運 富 地位』
もの静かに成長していく人
鋭い観察眼をもち、積極的な働きかけにより、人脈が広まり、それだけチャンスも多く訪れます。 人間関係を大事にするので、多くの友人知人に恵まれます。心根の優しさと厚い孝行心があり、他人からの援助や引き立てにも期待出来ます。






総格(総運)は28画で『凶』
『翻弄 誤解 不和』
浮き沈みの激しいタイプ 陽気で生命力にあふれ、独特の感性と明晰な頭脳、純真さを持ち合わせていますが、トップを極めても成功におごっていると、転落の道へと進む可能性があります。
手を広げすぎるため、全て中途半端になってしまいがちです。目標を絞って力を集中することで自ずと道は開けます。




あまり良くない運勢なので今後が注意だ。前田裕二は浮き沈みがあるタイプのようだ。





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無料タクシー登場か?仕掛人は何と15歳で社長になった22歳の吉田拓巳社長!! [社長 企業]

最年少社長として15歳で起業したことで知られる若手実業家が、2019年3月から、日本で初めての無料の配車・運行サービスを始めることが7日、分かった。利用者は専用のアプリを使って配車を受け、車内のディスプレーに店や商品などの情報が流される。


うまくいけば凄い画期的なサービスだ

この社長とは何者なのか?

吉田拓巳社長は凄い武勇伝やエピソードをもっていそうだ。。


無料タクシーは走る広告塔として、運賃に当たる運行コストは広告のスポンサーが負担する仕組み。8日に正式に発表する。

 新会社は「nommoc(ノモック、福岡市)」で、社長は15歳で大型イベントの映像演出などを手がけるセブンセンスを設立した吉田拓巳氏(22)。

無料タクシーでは注意点が必要かもしれない。例えばヘッドホンやイヤホン禁止したりスマホを無駄に見るのも禁止したり。

距離に規制をかけたりと、、様々な疑問点が浮かんでくる。


どうやってこの無料タクシーを成功させるか?

新会社は、日本クラウドキャピタルが運営する株式投資型クラウドファンディングサービスのFUNDINNO(ファンディーノ)を通じ、目標額5000万円を調達する。8日夜に募集を開示し、12日から申し込みを受け付ける。





 無料の配車サービスは、社名と同じサービス名で、コンパクトシティーである福岡市の天神を中心に10台ほどでスタートし、東京五輪が開催される2020年をめどに、東京など主要都市での展開を目指す。その後、シンガポールなどの海外市場にも進出する計画だ。







 具体的には、米ウーバー・テクノロジーズが運営する自動車配車サービスのように、スマートフォンの専用アプリで配車を受ける。アプリからは利用者の情報が送られるため、乗車中、車内の広告ディスプレーには、利用者が関心を持っているファッションブランドやランチのおすすめなどが常時配信される。



 同社によれば、将来的にはAIを活用して利用者の行動パターンを分析したり、好みを学習したりして、顧客と企業のマッチングをより高めるという


これが本当に実現すれば新しい広告の形として定着するかもしれない。


吉田拓巳社長は若いゆえに柔軟な思考を持っているのかもしれない。

吉田拓巳はどれだけ破天荒なのか!?
吉田拓巳は元ヤンキーなのか?

など疑問が沸いてくるがプロフィールは以下の通り


吉田 拓巳(VJ TKMi)(よしだ たくみ、1995年6月29日 - )は、福岡県出身のクリエイター、VJ、実業家。

株式会社セブンセンス代表取締役社長。

15歳で株式会社セブンセンスを創業。

ジャンル問わず数々の物をクリエイションしている。最近では飲食店のプロデュースやプロダクトデザインも手掛ける。


2018年5月に移動を無料化する新サービス「nommoc(ノモック)」の開発の着手を発表した。




2007年4月 VJ TKMi名義でVJ活動を開始。
2011年6月 株式会社セブンセンスを創業。代表取締役社長に就任(現任)


2018年4月 株式会社nommocを創業。代表取締役社長に就任(現任)


あまり、破天荒なエピソードなどはなさそうだ。
そして吉田拓巳は小学生の時からプログラミングをして中学生でVJ(ビジュアルジョッキー)でデビューしたのは、凄いエピソードであり、武勇伝だが、
吉田拓巳はおそらく元ヤンキーではないようだ。

顔も、まだまだ幼い。

しかし吉田拓巳社長は苦労もあったはずだ。



15歳が実際に起業するまで、いかに準備してきたのだろう。

「はじめは法務局に行きました。その中の公証役場という所で設立登記をしました。そこで、作った原始定款を見せて公証人の認証をもらうと、ようやく会社で使う定款ができあがります」

6月28日、福岡法務局において株式会社7senseの登記が完了した。

「登記するだけなら一瞬で終わるんですが、それで完了ではないんです。書類に問題があればあとから連絡がくるので、その分だけ会社の成立が遅くなります。僕も何度か手こずってしまって……誕生日が29日なんですけどぎりぎり15歳のうちに登記が完了できてよかったですね」

若くして起業したという事例は増えてきているが、15歳で起業したという事例はほとんど聞かない。しかし、その前例があまりないゆえに「年齢の壁」という苦難があった。

「未成年だといろいろ規制があって……例えば、未成年だと登記するにも親の承諾の書類が必要だったり、審査が厳しいので銀行口座を作るのも結構手間がかかったり。あと、法務局は平日しか空いていないので、学校を休まないと登記できなかったりとか……」

未成年ゆえに、もちろん信用の問題がある。例えば、話題作りのために若い子の名前だけを借り、名目の代表取締役としているだけではないかと見られることも。

「だから、今は頑張って僕が実際に仕事をやってるっていう証明を出したりしてますね」

同世代に刺激を
「こうやって、僕が15歳のうちに起業したかったのにもわけがあるんです。僕が起業することで、下の世代や上の世代に刺激を与えたかった。こんなに若い奴が会社作ってるのか!とか、自分も負けてられない!という若い世代の人が増えてくれたらいいなあと思ったんです」

彼は起業したが、これまでと特に事業内容は変わるわけではない。要は、起業した事実を作ることで、周囲に刺激を与えたかったのだ。

「若い世代の起業が増えれば、会社法もちょっとづつ変わっていくのかなと思います。例えば、法務局を土日も朝だけでも開けるとか、銀行口座開設の対応が変わるとか」


立派な若者である。。
無料タクシーでは注意点が必要かもしれない。例えばヘッドホンやイヤホン禁止したりスマホを無駄に見るのも禁止したり。

距離に規制をかけたりと、、様々な疑問点が浮かんでくる。


どうやってこの無料タクシーを成功させるか?







今後も吉田拓巳に注目したい。


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衰退した東京チカラめしの社長の経営マジックとは?東京チカラめし社長の武勇伝とは? [社長 企業]

凄まじい勢いで急成長した『東京チカラめし』。その後、凄まじい滑り方で急落していった『東京チカラめし』。どうしてこんなにも急速な衰退が進んだのか?

凄まじい勢いの時に語っていた東京チカラめしの社長の勢いはどこへ?

かつては東京地区で伸長を続ける「東京チカラめし」が関西に出店し、「すき家」「吉野家」「松屋」の3強を脅かす存在となっていた。

「冬の時代」と呼ばれる外食産業にあって、快進撃を続けた三光マーケティングフーズ(東京チカラめしの運営会社)の平林実社長は快進撃を続けていた2013年に語っている。

平林実社長はどんな経営マジックを使ったのか?

平林実社長はどんな武勇伝があるのだろうか? 

東京チカラめし社長の平林は
「スピード感がないと、競争には勝てません。2011年6月に第一号店を出し、1年半で120店舗を超えました。2014年中には500店舗に到達したい。」





「すき家」「吉野家」「松屋」の御三家が9割のシェアを占める牛丼業界への参入には社内からもずいぶん反対されたという。



 平林実率いる三光マーケティングフーズは、個室居酒屋というスタイルを提案した『東方見聞録』や、一品270円という価格破壊を実現した『金の蔵Jr.』などで一世を風靡した。総店舗数250を超える。



いわば東京チカラめしの社長は“居酒屋の風雲児”だった。



充分な実績があったので牛丼業界に突如、参入したのは業界内外に衝撃を与えた。




「無謀」とも云える挑戦にこそ平林実氏の哲学が凝縮されているという。

牛丼は成長できると踏んだ東京チカラめし社長が行った改革は

を煮た牛丼ではなく、「焼き牛丼」で勝負に出た事だ。

パーフェクトな食感と味で東京チカラめしは世間を席巻した。

人気が出た。


平林:人生は「理想」と「現実」の狭間を揺れているようなものです。「理想」にはリスクがつきものですから、ほとんどの人が、安全志向で「現実」を取ってしまう。けれども安全の中に成功はありません。成功するためには、リスクに挑まなければなりません。


と2013年に東京チカラめし社長平林実は語っていた。



☆☆成功するためにはリスクに挑まなければならない☆☆


しかし、一気に衰退。その理由とは?



・『東京チカラめし』が衰退した7つの理由

1. 調理法を変えた
2.肉質を変えた
3.胃もたれする程の油っぽさ
4.揚げ物の質が良くない
5.東京チカラめしじゃなくても食べられる程度の味になった。
6.スピード重視になった。
7.目玉商品がなくなった。




美味しい牛丼だったが、多くの客から「遅い」「15分以上待ってるけどまだこない」「もう帰りたい」「まだ作ってないなら帰りたいんだけど」などの声が聞かれたようで調理方法を変えたという……。

早く焼けるように2. 肉質を変えたのかもしれない。

オープン当初の肉は分厚く、そしてジューシーだった。

しかし、いつのまにか「薄っぺらい油っぽいだけの肉」になってしまった。

それなのに味付けは変えないのだから

3. 胃もたれするほど油っぽくなったのだろう。


サイドメニューも弱かった、、
4. 揚げ物が改良されなかった

揚げ物のクオリティはオープン当初からあまり良くなかった、油っぽいしえぐい。
古い油でも使っているのだろうか?


焼き牛丼は注目され他店でも提供するようになった。
つまり
5. 他店でも出せる味になったのだ。


現在も『東京チカラめし』は、自身なりに商品開発に力を入れ、新しいメニューをどんどん出している。しかし、「別にここで食べなくても良い」と思える味。わざわざ『東京チカラめし』に行って食べる味ではないのだ。

焼き牛丼を出すにしても簡単なマニュアルがあるはずだ。しかし職人が焼く肉とマニフェストに従って素人のアルバイトが焼く肉では職人が経験と舌で作った焼き牛丼の方がうまいのだ。


他店に勝てないと思った東京チカラめしは牛丼大手チェーンのようにスピードを求めたのだろうか。


6. スピード重視にした
『東京チカラめし』は「料理が出てくるのが遅い」とクレームされた。そこで改良するのは良い事だが、、レシピを変更して時間短縮に力を注いだ。


商品開発部は味を保ちつつスピードアップを図ったと思うが、結果的に味は落ちてスピードだけ少し早くなった。


そして東京チカラめしは
7. 目玉商品がなくなった


『東京チカラめし』といえば焼き牛丼だ。
しかし、流行りの新メニューや季節限定などのメニューを前面に推して目玉商品が何だかわからなくなった。


東京チカラめしは復活するか?もしくは洗練された少数店舗で美味しく早い満足できる牛丼屋をやるのか?

わからない。

東京チカラめしの快進撃は衰退したが、三光マーケティングフーズはまだまだ強い。

成功するためにはリスクに挑まなければならないと語っていた平林実社長。

ここから盛り返せば「東京チカラめしの衰退は成長の通過点だった」事になる。






東京チカラめし社長つまり三光マーケティングフーズの社長、平林実はこれからどんな経営マジックを使って生き延びるのか?

これからの盛り返しが
平林実社長の武勇伝となるだろう。
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