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曙も破った青木篤志さん死去41歳で、、 [スポーツ]

全日本プロレス、いやプロレス界に大きな痛手だ。


全日本プロレスを復権させた立役者の青木篤志さんが3日にバイク事故で亡くなった、、享年41。
まだまだこれからの選手、そして人生だった。

秋山準の元付き人という事もあり、会見では

秋山準社長(49)は、「ファンのみなさんの前で明るく立たなきゃいけない。切り替えないといけない」としながらも、しばらくは青木のことを考えて…」と涙を流した。

青木さんは3日午後10時半ごろ首都高速道路トンネル内で倒れているところを発見され、約1時間後搬送先の病院で息をひきとった。

全日本プロレスの青木篤志さんの死因はバイクによる単独事故とみられる。カーブを曲がりきれずに側面に激突したと見られるが詳しくはわかっていない。

事故当時の目撃者などはいなかったのだろうか?


青木篤志さんは当日
午後10時からは、ニコニコプロレスチャンネルの月1の番組「青木篤志の『毒演会』」に出演する予定だった。


同番組の関係者によれば午後10時になっても姿を見せなかったため、別の映像を流したという。何らかの理由で時間に遅れ、急いで向かった可能性がある。


秋山は、連絡が入ったのは午前0時すぎだったと明かし、「最初は事故に遭ったということを聞いただけで、亡くなったとは思わず…。僕が(病院に)一番最初に着いた。全く受け入れられないというか、そんな感じでした」と前夜の状況を振り返った。

青木さんは05年に自衛隊からノアに入団し、秋山の付き人を務めた。12年末には秋山とともにノアを離れ、全日本に移籍した。2週間前の5月20日に4度目の世界ジュニアヘビー級王者となったばかりで、18日の後楽園ホール大会で、佐藤光留相手に初防戦を行う予定だった。秋山は「付き人をしてくれていたので、いろいろありました。2人で話すことも多かった。また、ベルトを巻いて盛り上げてくれると思ったのですが」と目を潤ませながら青木さんへの思いを語った。









青木篤志さんはプロレスファン以外には知名度はあまりないが、プロレスファンとプロレス関係者からは一目おかれる存在だった。
青木篤志.png

例えば須藤元気
■須藤元気「レスリング部の同期で試合もしたことのある仲間でした」
と同期の死を悲しんだ。


 青木篤志さんの死を受けて、追悼を寄せる関係者の声が相次いだ。

 2010年にタッグマッチで青木さんを破った経験のある新日本プロレスのエース・棚橋弘至さんは「青木篤志選手のご冥福をお祈りします」とツイッターに投稿。


 元総合格闘家の須藤元気さんは「青木篤志選手はレスリング部の同期で試合もしたことのある仲間でした。残念です。心よりご冥福をお祈りいたします」とツイッターにて思いを綴った。

 プロレスラーの鈴木みのるさんはツイッター上で「青木。つい先日店にきてくれたのに。まじか…」と唖然。

続けて「朝早い時間に佐藤が電話で知らせてくれた。泣きじゃくってた。そりゃそうだ…いつも横にいたやつが突然...いたたまれない。ご冥福をお祈りします。。」と深い悲しみをあらわにした。

 2011年青木さんとタッグマッチを組んだ、現在DDTプロレスリング社長の高木三四郎さんは「先日、サービスエリアでお会いしてご挨拶したばかりなのに... 僕らのスタイルに賛同してくれて本当に嬉しかった。ありがとうございます。 青木篤志選手のご冥福を心よりお祈りします」

 アメリカのプロレス団体WWEに所属のKUSHIDAさんも「青木篤志選手 心よりご冥福をお祈り致します」と追悼の意を述べた。

 所属する全日本プロレスのホームページによると、青木さんは元自衛官で2000年にプロレスデビュー。5月20日には、全日本の世界ジュニアヘビー級王者になったばかりだった



青木篤志さんの強さはチャンピオンなので言うまでもないが、曙選手にも勝った事のある実力派!
何と125キロ差の曙選手からギブアップをとった事もあるという。
曙対青木篤志さんの動画がみたい人もいるだろう。。

きっと曙選手も追悼しているはずだ。




他にも親交のあったお笑い芸人が号泣しながら死を惜しんだ。

 


青木篤志さんの死の直前の2日にツイッターを更新していたが、この最後のつぶやきにファンが「早すぎるよ」など悲しみのコメントを続々アップしている。



 青木さんは2日に更新したツイッターで「無事帰宅。長旅でしたが、明日からオフなのでしっかり次に備えます」とつぶやいたのが最後となってしまった。

 このつぶやきに、ファンは「しっかり次に備えるんじゃなかったのかよ、、、あまりに残念」「長旅からの帰宅だったんじゃないの?なにをもっと長旅に出てるの…」「早すぎます。まだ受け入れられません」「まだまだこれからというのに…悲しすぎます」「次に備えるんだろ!何やってんだよ!」など、やるせない思いが続々と投稿されていた。








心よりご冥福をお祈りします。


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高山喜廣とドンフライが対面!the因縁で起こした奇跡とは? [スポーツ]

高山喜廣と死闘を繰り広げたドンフライが対面した番組が話題だ。


高山喜廣は2017年の試合中に頸髄完全損傷の重傷を負い、現在も闘病生活を送っている。


高山喜廣は首から下が動かない状態での入院生活を続けている。


人気レスラのー高山善廣が、3月22日(金)に放送された『今夜解禁!ザ・因縁』(TBS系)で1年ぶりとなるメディア出演を果たした。



現役時代の高山を知るファンはドンフライとの対面に感動!


高山はthe因縁でどのような奇跡を起こしたのか?



The因縁とは

過去に不義理をしてしまった相手、喧嘩別れした恋人、ふとしたすれ違いで会わなくなった親友など、“因縁”をもつ芸能人同士が対面し、当時抱えていたわだかまりや不満、心の中では思っていたけど口に出して言えなかった言葉など、今だからこそ打ち明けられる気持ちをぶつける番組だ。

過去には元横綱曙がライバルだった元横綱若乃花(花田虎上)が再会し話題にもなった番組だ。






高山とドンフライ
といえばやはり2002年のPRIDE.21だろう。

完全にノーガードでお互いの首を持って殴り合う伝説の試合だ。

この試合は現在でも多くの人に衝撃を与えており、世界中から称賛と驚きを与えている。


高山はドンフライに完敗したが、その勇気と男気ある試合で世間からの評価は抜群にあがったという。


高山は「負けた時に悔しかった!!畜生!」と思っていたが、何やら花道を引き返す時に凄まじい声援の大きさに気がついたという。

「ひょっとして俺は良い試合をしたのか?」そう思ったという。

ドンフライ戦の後に格闘技ファンから「ドンフライとの試合凄かったな!」

「高山!凄いな!応援するぜ」

など明らかにドンフライ戦以前の声援とは違う声援をもらい、ファンも増えたという。


高山喜廣は強面で巨体だが、お茶目な一面も持っており数々のバラエティー番組でも活躍。また俳優としてもドラマや映画などにも出演していた人気タレントでもあった。


しかし高山は首から下が動かない壮絶な闘病生活を送っている。


かつて死闘を繰り広げた因縁のライバルであるドン・フライと17年ぶりに禁断の対面を果たす。ライバル同士だからこそ通じ合う思い……。スタジオが涙した奇跡の復活劇とは!?



番宣や番組では17年ぶりの再会とされているが、
2008年にプロレスで高山善廣とドンフライがタッグを組んで出場している。


しかし、試合途中でドンフライが仲間割れを起こし、ドンフライが敗戦。


更に2013年3月17日の全日本プロレス『2013 プロレスLOVE in 両国 』でのタッグ対決がある。このとき以来であれば6年ぶり。








17年ぶりではないし高山とドンフライに因縁などない。

逆に熱い試合を繰り広げた仲間でもありライバルでもある。


そんなドンフライとの再会は多くのファンが心待ちにしていたはずだ。



しかし、、ドンフライはプロレスラーだ。





いきなり感動の再会などはしない!

再会の前日には

「ヤツは俺の3年をフイにした。明日はその仕返しをしてやる!」と怒りの形相で報復を宣言したのだ!!


なんと試合に勝ったフライだが高山戦後のダメージにより、その後の戦績が悪化した。。

というのだ。


そして再会へ、、


高山の奥さんである奈津子さんに電動ベッドの背を起こしてもらう病室の高山。そこにドン・フライが現れた。

 
フライはいきなり大興奮状態!!





おもむろに服を脱ぎだすと、
「あの試合(2002年6月23日)で肩を壊して、その後手術を4度もした。
腰の手術もした。手術のたびに何週間も動けない生活を強いられてきた」


と、手術跡を見せながら恨み節を連発したのだ!!



高山とドンフライの伝説の試合はドンフライが優勢で勝ったので、ドンフライにダメージはあまりなかったと思われていた。


しかし


試合に勝ったドンフライも相当なダメージを負ったようで、高山への恨みは骨髄に達していたという!!

更にフライは続けた。


「何度も君を恨んだこともあった。あの試合で人生が狂った。君との試合で選手生命が絶たれ、家族にも逃げられたよ」との告白をフライが繰り広げる。


そんな中、過酷なリハビリを乗り切るモチベーションとなったのも、高山との試合だったという





 フライは「(長いリハビリ生活で)絶望のとき、私は人生で一番輝いていた瞬間に支えられていた。君との試合を思い出していたんだ。あの時に戻りたい。その思いでリハビリを乗り越えたんだ。私は君に救われたんだ」。











 現在リハビリ中の高山もブログで「(フライ戦を思い出すと)リハビリ頑張ろうと思える」と綴っていた。


何と
フライが同じ経験を先にしていたのだ!

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 高山も口を開く。

 「僕をロッキー・バルボアにした試合(“王者”への挑戦者が欠場、代理選手が脚光を浴びる)。こないだドンとの試合をパネルにして抱いた。あのときの試合を忘れないように」。



 ファンの間で語り草になっている試合は、両者の中でもかけがえのない試合であったという!!



高山対ドンフライの海外の反応は、高山の勇気を称えるコメントも多かったが、高山を心配するコメントも多かった。

逆にフライを心配するコメントは少なかった。


だから、ドンフライにとっては対高山戦は多くの対戦の一つなのでは?と思うファンも多かったはずた。


それがドンフライにとっても大事な試合だったという。


過去にもドンフライはその事実を語った事はあるが、高山と面と向かって言った事はないだろう。


この素晴らしいシーンに視聴者は感動したのだ。




 高山は
「会えて嬉しいです。自分で勝手に・・・ドンさんは自分の誇りだと。チャンピオンのチャンピオンなので。勝ったのはあなただから」。

高山はドンフライに最大限のリスペクトをしめした。




ドンフライは続けた

「それは違う・・・勝ったのはあなただ」。


フライのこの発言はとても深い。



フライは確かに試合には勝ったが、密かに体はボロボロになってしまった。。そして戦績は振るわず家族も失ったという。(もちろん全て高山のせいではないが)

一方高山は世界中から勇気のあるファイターとして評価をあげた、そして日本では人気者としてタレントとしても活躍していたからだ。





そして再会の仲介人として登場した武藤敬司もまじえてトークを広げた。

武藤敬司もご存知の通り膝に爆弾を抱えている。


そして、みんなボロボロだよという話になった。

 フライ「2002年の(試合の)ダメージが残っている(笑)」。

 高山「I’m sorry.(笑)」。


高山は満面の笑顔だ!とても首から下が動かない人とは思えない目の輝きを取り戻したのだ。

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ところで、the因縁で高山が
起こした奇跡とは?何だったのか?



実は高山喜廣は
回復の見込みなし、、
と診断されていたという。



しかし妻の奈津子さんは

「いま二の腕あたりまで感覚があるところが増えている。回復してるんだと思います。とにかく治るんだ、とにかく動けるようになるんだという強い意志が彼を支えているんだと思います」。



ドンフライと再会した事で起こした奇跡とは言えないが、リハビリ中にドンフライが生きる糧となっていたのは間違いない。


つまり、高山がthe因縁で起こした奇跡とは

「回復の見込みがないにも関わらず、回復してきている」
そして「首から下が動かないとは思えないくらいの目の輝きをした」



からではないか。



 この回復は既に報道されてはいるが、地上波テレビで広く共有されたことは意義がある。

そしてコーナーのエンディングショットでは高山の部屋に飾られたドン・フライのフィギュアが写された。

そのパッケージにはフライが「Stay Tough!(強くあれ)」とサインをしていたのだった。











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羽生結弦の親の凄さとは?家訓は?フィギュアスケートを始めた意外なきっかけとは? [スポーツ]

フィギュアスケートの王子といえば日本が生んだスーパースター
羽生結弦だ。

羽生結弦の強さの一つには

メンタルの強さがある。


なぜあれほどのメンタルが育ったのか?
どんな育ち方をすれば強靭なメンタルが作られるのか?

スポーツ選手のコーチ、指導者は思うだろう、スポーツ選手の指導者だけじゃなく一般家庭の子供を持つ親ならば誰しも気になるだろう。

羽生結弦はくまのプーさんのぬいぐるみが好きという中性的な一面もあり、笑顔は少年のようだ。

しかし競技中、演技中の眼光の鋭さ、研ぎ澄まされた集中力は画面越しに見ている者でさえ「圧」を感じる。


失敗や怪我に動じない、プレッシャーに打ち勝つ凄まじきメンタルの秘密とは?

羽生結弦を育てつ両親の教育とは?
羽生結弦の家訓とは?

  
そしてフィギュアスケートを始めた意外なきっかけとは?

羽生結弦を強靭なメンタルに育てた親はどんな人物なのか?

その疑問に明確に答えられる人は少ない。
なぜなら羽生結弦の親はほとんど、、いや一切メディアや表舞台には出てこないからだ。


しかしメディアに出てこない事で羽生結弦の親についてわかってきた事もある。
それは控えめで謙虚な親
という事だ。




2015グランプリファイナル終了後に記者会見でとある記者が尋ねた。


「わが子を羽生選手のように育てたいというお母さんが多いのですが、どうしたら羽生選手のように育つと思いますか」


この質問はスポーツ選手の指導者が知りたかった質問だろう。

羽生結弦はこう答えた。



「僕は『僕』です。人間は一人として同じ人はいない、十人十色です。僕にも悪いところはたくさんあります。でも悪いところだけじゃなくて、いいところを見つめていただければ、(子供は)喜んでもっと成長できるんじゃないかと思います」


まさにパーフェクトな回答だ。

しかし親の目線で見るならば「それができないから知りたい」はずだ。


そうなると直接羽生結弦を育てた親に話しが聞きたいが羽生結弦の親は表舞台には出てこない。


なぜか?


羽生結弦の親が表舞台に出てこないのは、羽生結弦本人の努力と才能によって脚光を浴びているのであって、親の育て方によるものではない。

と考えているからだそうだ。




控えめでしゃしゃりでない人柄は羽生の生まれ育った故郷仙台の人柄、東北人気質もあるかもしれない。





羽生の出身は仙台市泉区。

家族構成は両親と姉の4人家族

父は中学校の教頭
母は専業主婦

4歳上の姉は、羽生のホームリンクだったアイスリンク仙台の職員として働いている。

一般的な中流階級の上の方くらいの家庭と見られる。

極端な金持ちではないが、フィギュアスケートをやらせているのだから中流階級の
上くらいだろう。県営住宅に住んでいたという情報もある。



中学校の教頭とは立派な職業なので、父親の人徳も影響しているのかもしれない。
羽生結弦の家は県営住宅だという。


関係者は
「羽生家は父親が公務員で貧しくはないけど、カネ持ちというわけでもない。家賃5万円でつつましく暮らしていました。節約のために、つい3年前まで結弦の衣装はお母さんが作っていたんです」



羽生結弦の両親は特別な事は何もしていないという。


羽生結弦の父親は野球をやっていたといい、その影響で結弦の少年時代はボール遊びが好きだったという。

容姿端麗なので女の子に間違えられることもあったが、周囲からは明るくわんぱくに見えていたという。

しかし、羽生結弦には大きなハンデがあった。



そのハンデとは


「喘息」である。



喘息の辛さは喘息持ちなら知っていると思うが急に咳込んだり、眠れない程の咳が出る事も多い。


両親は喘息を克服する目的もありフィギュアスケートを始めたという。


なぜ喘息を治すのにフィギュアスケートなのか?


それは室内競技なのでホコリを吸い込む可能性が低いからだという。


喘息を治す目的で始めたスケートだが才能の片鱗を徐々に見せていったという。
何回転んでも起き上がり果敢に練習したという。


そして体幹もしっかりとしていたという。


フィギュアスケートのおかげで喘息は改善されてきていた、そして羽生結弦が少しフィギュアスケートの練習が嫌になった時期もあったという。


まだ子供なのだから遊びたい気持ちもあるはずだ、当然のことだろう。

そこで羽生の父は野球を勧めたという。



しかし羽生結弦自身が選んだのは

フィギュアスケートだった。


この選択が羽生結弦をフィギュアスケートに気持ちを向けたきっかけかもしれない。。と親戚(父親の妹)は語ったという。


羽生結弦の運動神経と体型はどうやら母親譲りだともその親戚はいう。父親の体型や家系にはないという。



父親の妹は推測するには。


羽生家の家訓とかはとくにないと思われる



子供にやらせるのではなく、子供が関心を持ったことに、可能な限り協力する。子供の『自主性』を尊重するのが、羽生家の教育方針ではと

そして父親は
スケートだけの人間になるな
そう言い続けたという。




ゆずは小学4年生の時にノービス(ジュニアの下のクラス)の全国大会で初優勝。

中学1年では、ノービス選手にもかかわらず、全日本ジュニア選手権で3位に輝いた。

羽生が中学、高校と進学するにつれ、両親は「自主性」を重んじる一方で、スケートだけの人間にならないよう、口を酸っぱくして言い聞かせてきたという。


羽生が通っていた東北高校の校長も

「羽生君は勉強もスケートもきちんと両立していました。やはり親御さんの教えがあったからだと思います。お父さんは『フィギュアだけでなく、勉強もしなければダメだ』と羽生君に常日頃言っていたようで、遠征先にも教科書や参考書を持ち込んで勉強していました。中学のころから成績もよくて、特に理数系が得意でした。お父さんが数学の先生という影響があるのかもしれませんね」


文武両道、羽生結弦の父親の教育方針の凄さかもしれない。


もしフィギュアスケートしかしらなかったら羽生結弦の謙虚さや品格はなかったかもしれない。





そして母親の存在も大きい。




カナダのトロントに母と二人で移住したのだ。

羽生結弦は最初は言葉の壁や生活環境に馴染めず、苦労したという。


更にカナダは肉料理が多く、結弦は食が細いので、外食で胃がもたれることもあった。



そこで、母親のサポートがあった。


家で消化の良い鍋を食べさせるなど、結弦の健康管理には相当気を遣ったようだ。



献身的な母の支えもあり、なんとかカナダでの生活が軌道に乗ると、羽生はオーサーの指導をどんどん吸収し、メキメキと腕を上げていった。



オーサーの指導方法が、羽生の両親の考え方とも合っていたという。

「オーサーは選手とのコミュニケーションを非常に重要視するコーチです。『この技術はこうしないといけない』と決めつけるコーチもいますが、オーサーはまったく逆。言葉を尽くして選手と話して、その選手にあった方法を一緒に探してくれるんです」

リンクの上では、常に射るような眼光で、メンタルの強さを感じさせる羽生。だが、幼いころから羽生を知るスケート仲間は、羽生の中には今も「二面性」があると言う。

「強いゆづと弱いゆづ、その二つです。あれほどの選手になっても、弱いゆづは完全になくなったわけではない—いや、その弱さがあるからこその、ゆづなんです」









羽生結弦は鉄の心臓と思われがちだが、臆病でもあるという



象徴的な出来事が、あの3・11、東日本大震災の日にあった。


地震が起きた瞬間、羽生はアイスリンク仙台で練習中だった。突然すさまじい轟音と共に大きな揺れに襲われると、羽生は先輩スケーターにしがみつき、「やだやだやだ」と叫んだ。先輩が「大丈夫、大丈夫だから」と言っても、ただ泣いて震えていた。


あの地震で平然を保つ人はほとんどいないと思うので羽生結弦も普通のメンタルであるという事だ。

 

リンクの氷は割れ、建物も半壊状態。家族は全員無事だったものの、電気、ガス、水道などのライフラインが寸断され、自宅にも戻れず、家族で4日間、避難所生活を強いられた。



「こんな状況でスケートをやっていていいのか」

恐怖が去った後、羽生を支配したのはそんな感情だった。悩む羽生に前を向かせたのは、母の後ろ姿だったという。


「お母さんはまさに駆けずり回って、結弦が練習を再開できるよう、スケート連盟やコーチにも片っ端から頭を下げて回っていた。こんな時だからこそ、結弦は滑らなければならない。ここでへこたれてはならない。母のその思いが結弦には伝わったのでしょう。『僕は自分のためだけに滑ってるんじゃない』と、彼が口にし始めたのはこの頃からです」


母親の強要ではない「願い」が羽生結弦を奮い立たせた。




羽生結弦の整体師も語る。
羽生結弦本人も立派だが、
やはり両親が立派な方。

いちばん立派なのは、感謝の気持ちを忘れないこと。金メダルを取れば、本人も親も天狗にならない。

感謝の姿勢は、ご両親が羽生君に言葉で教えたわけではないと思います。両親の背中を見て、自然と身についたのでしょう。






様々な試練を経て、現在の羽生結弦がある。決して驕らず、でも信念は譲らない。そんな羽生をつくったのは、決して表舞台に出てくることのない、この両親の教えだったことは間違いない。





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名古屋ウィメンズマラソン。美人は誰? [スポーツ]

名古屋ウィメンズマラソンの結果が注目を集めている。

2019年3月10日 ナゴヤドーム発着で行われた
名古屋ウィメンズマラソンの結果が注目を集めている。

最近のアスリートは美人も多いので、選手のアスリートとしての素晴らしさとプラスして美人を探してしまう人もいるようだ。


良い選手を探すついでに美人は誰?とそんな目線で見る人もいるかもしれない。。



名古屋ウィメンズマラソンは東京五輪のマラソン代表選考会

「マラソングランドチャンピオンシップ」略して(MGC)の出場権を懸けた大会でもあった。

9月15日に開催されるMGCへの切符を掴むのは誰なのか?


42・195キロの熱い走りが期待された。


注目の選手は


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福士加代子(ゼッケン9)、前田彩里(ゼッケン10)、岩出玲亜(ゼッケン11)、上原美幸(ゼッケン12)等だ。



結果としては
ヘラリア・ジョハネス(ナミビア)が2時間22分25秒で初優勝。
残念なが日本人は優勝はできなかった。



日本人トップは既にMGC出場を決めている岩出玲亜(アンダーアーマー)が2時間23分52秒で日本勢最高の5位に入った。
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前田彩里(27=ダイハツ)が2時間25分25秒で日本人4位の10位となり、MGC出場権を獲得した。
健康的な美人です。


 2時間22分48秒の自己記録を持つが、16年に左足首を手術。その後も故障に泣かされてきた。

マラソンに復帰したのは、昨シーズン。15年世界選手権から42・195キロに遠ざかっていたが、1日で60キロを走ってもケロっとしているという天性の長距離体質で、この日は安定したラップを刻んでMGC切符を手にした。

レース後、前田は「MGCを取れてよかった。思ったよりきつかったけど、今の自分は出し切れた」と話した。




大阪国際女子で途中棄権のベテラン福士加代子(ワコール)は2時間24分9秒の8位で出場権を得た。







9位の上原美幸(第一生命)
は154センチで小柄ながら奮闘。そして美人。

人気のありそうな雰囲気を持っている。
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上原美幸は2時間30分14秒以内で走れば「ワイルドカード」で権利獲得となる中、積極的に先頭集団につく走りで9位に入った。2時間24分19秒でMGC出場権を獲得し「30キロまでついていくことができ、離れても粘るレースができた」と笑みがこぼれた。



11位の谷本観月(天満屋)

12位の池満綾乃(鹿児島銀行)もMGC切符を獲得!!

芯の強そうな表情!美人。

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女子の出場権獲得者は計14人となった。

 


どの選手もとても魅力的で引き締まった筋肉美がある。


頑張ってほしい。



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元横綱稀勢の里。最強の親方となれ!!弟弟子の高安よ横綱となれ!! [スポーツ]

大相撲春場所が3月10日から始まる。

注目は貴景勝や高安だ。


元横綱稀勢の里は引退し荒磯親方となった。
その荒磯親方がまだまだ強い!と話題なのだ。

目指すは最強の親方だ!!
最弱の横綱から最強の親方を目指して欲しい!




 荒磯親方(元横綱稀勢の里)が28日、弟弟子の大関高安(28)=田子ノ浦=と2日連続となる三番稽古を行った。

何と!27番取って18勝9敗と圧倒したのだ!

元横綱とはいえ引退した親方がガチンコで現役の大関を力で圧倒したのだから話題にもなる。



元稀勢の里荒磯親方は先場所で現役引退したが、親方となってもまわしを締めてみっちり稽古を続けている。


力は衰えていない。左四つで組み止め、力勝負からの寄り切り。立ち合いで押し込まれながらも、土俵際、重い腰で残して突き落としで何度も逆転した。中盤、9連勝をマークするなど圧巻。スタミナ面でも余力があった。


プレッシャーから解放されてのびのびと相撲がとれているのだろう。


横綱引退の場所はそれはもう酷かった。。

全く勝てる気がしないし、力が入ってないんじゃないか?と思ってしまうくらいの相撲だった。

稀勢の里は残念ながら
『弱い横綱』として多くの人に記憶されてしまった。


しかし散り際でもがく姿から勇気をもらった人も多いはずだ。


多くの一般市民は脚光が当たらない生活をしている。それでも何かに必死になったり没頭したり、挑戦を続ける人はいる。


いつまでも評価があがらなくても、必死に努力して居る人もいる。

時には「もうやめれば?」「もう諦めた方がよい」などと冷たい言葉を浴びさせられるかもしれない。


一般人ならばあまり言われないが元横綱稀勢の里は目の敵のように「もう辞めろ!」「引退してください」と言われていた。

それでも稀勢の里は僅かな自分の力を信じて戦いつづけた。もがいていた。

断崖絶壁で転落しないように。

まだやれる!自分は強い!


そう、言い聞かせていたのかもしれない。

そんなもがく稀勢の里から少なからず勇気を貰った人はいるはずだ。

残念ながら引退してしまったが、、
本当にお疲れ様でしたと頭を下げた人は少なくない。

多くの人は批判したので稀勢の里は「ダサい横綱」だったのかもしれない。




そんな稀勢の里が引退して荒磯親方となり、現役の力士(しかも大関)をコテンパに負かせているニュースが話題となっている。


これは稀勢の里に勇気を貰った人には
本当に嬉しい


弱い横綱だった。

確かに成績は良くなかった、引き際もみっともなかった。


横綱昇進も少し強引だったかもしれない。


それでも横綱だったのだ。


弱い横綱で稀勢の里は終わってしまったが、強い親方荒磯親方としてとことん強くあってほしい。


絶対に高安を横綱に押し上げて欲しい。


そして、高安に「荒磯親方のおかげです」と言って欲しい。

もしも高安が横綱になって、白鵬や鶴竜を圧倒するような無双の横綱になったとしよう。

そしてインタビュアーに
「横綱(高安)、敵わない相手はいますか?」と聞かれたとしよう。


すると高安は「はい、荒磯親方にだけは敵いません」と答える。



もう想像なんだが、そのシーンを思い浮かべるだけで感動してしまう。

弱い横綱稀勢の里はやはり横綱だった!


そう世間に証明できるからだ。










高安との稽古では圧倒したが、高安に立ち合いから一気に土俵際まで持っていかれた時には「おー」と感嘆。

弟弟子の馬力は想定を上回った様子。「(高安は)良かった。勢いもあるし。はまったらいいものあった。攻めが速くなっている。そういうのを目指してほしい」と褒めた。

 自身が引退し、高安を横綱に引っ張り上げることが使命。「高安は強いと思っていい。相手をけん制するとかいらない。頭も付けないでいい。速い攻めで体を預けた方が相手は嫌。そこを伸ばしていけば安定感につながる。東京で(稽古を)やった時より断然良くなっている」と太鼓判を押した。



 29歳となった高安はこれから絶頂期を迎えると予告。「ちょうど熟して花が開く。今まで40、50くらいしか出せない力が70、80、90くらい力が伝わる。これと決めたものを行き当たりばったりじゃなく、確信に変えていくと一日一日成長する」と、自身の経験を踏まえ助言した。







高安が横綱になる事、荒磯親方がまだ強くなる事、最強の親方と言われる事。

それを望む相撲ファンは多いはずだ。



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全日本プロレス、いやプロレス界に大きな痛手だ。


全日本プロレスを復権させた立役者の青木篤志さんが3日にバイク事故で亡くなった、、享年41。
まだまだこれからの選手、そして人生だった。

秋山準の元付き人という事もあり、会見では

秋山準社長(49)は、「ファンのみなさんの前で明るく立たなきゃいけない。切り替えないといけない」としながらも、しばらくは青木のことを考えて…」と涙を流した。

青木さんは3日午後10時半ごろ首都高速道路トンネル内で倒れているところを発見され、約1時間後搬送先の病院で息をひきとった。

全日本プロレスの青木篤志さんの死因はバイクによる単独事故とみられる。カーブを曲がりきれずに側面に激突したと見られるが詳しくはわかっていない。

事故当時の目撃者などはいなかったのだろうか?


青木篤志さんは当日
午後10時からは、ニコニコプロレスチャンネルの月1の番組「青木篤志の『毒演会』」に出演する予定だった。


同番組の関係者によれば午後10時になっても姿を見せなかったため、別の映像を流したという。何らかの理由で時間に遅れ、急いで向かった可能性がある。


秋山は、連絡が入ったのは午前0時すぎだったと明かし、「最初は事故に遭ったということを聞いただけで、亡くなったとは思わず…。僕が(病院に)一番最初に着いた。全く受け入れられないというか、そんな感じでした」と前夜の状況を振り返った。

青木さんは05年に自衛隊からノアに入団し、秋山の付き人を務めた。12年末には秋山とともにノアを離れ、全日本に移籍した。2週間前の5月20日に4度目の世界ジュニアヘビー級王者となったばかりで、18日の後楽園ホール大会で、佐藤光留相手に初防戦を行う予定だった。秋山は「付き人をしてくれていたので、いろいろありました。2人で話すことも多かった。また、ベルトを巻いて盛り上げてくれると思ったのですが」と目を潤ませながら青木さんへの思いを語った。









青木篤志さんはプロレスファン以外には知名度はあまりないが、プロレスファンとプロレス関係者からは一目おかれる存在だった。
青木篤志.png

例えば須藤元気
■須藤元気「レスリング部の同期で試合もしたことのある仲間でした」
と同期の死を悲しんだ。


 青木篤志さんの死を受けて、追悼を寄せる関係者の声が相次いだ。

 2010年にタッグマッチで青木さんを破った経験のある新日本プロレスのエース・棚橋弘至さんは「青木篤志選手のご冥福をお祈りします」とツイッターに投稿。


 元総合格闘家の須藤元気さんは「青木篤志選手はレスリング部の同期で試合もしたことのある仲間でした。残念です。心よりご冥福をお祈りいたします」とツイッターにて思いを綴った。

 プロレスラーの鈴木みのるさんはツイッター上で「青木。つい先日店にきてくれたのに。まじか…」と唖然。

続けて「朝早い時間に佐藤が電話で知らせてくれた。泣きじゃくってた。そりゃそうだ…いつも横にいたやつが突然...いたたまれない。ご冥福をお祈りします。。」と深い悲しみをあらわにした。

 2011年青木さんとタッグマッチを組んだ、現在DDTプロレスリング社長の高木三四郎さんは「先日、サービスエリアでお会いしてご挨拶したばかりなのに... 僕らのスタイルに賛同してくれて本当に嬉しかった。ありがとうございます。 青木篤志選手のご冥福を心よりお祈りします」

 アメリカのプロレス団体WWEに所属のKUSHIDAさんも「青木篤志選手 心よりご冥福をお祈り致します」と追悼の意を述べた。

 所属する全日本プロレスのホームページによると、青木さんは元自衛官で2000年にプロレスデビュー。5月20日には、全日本の世界ジュニアヘビー級王者になったばかりだった



青木篤志さんの強さはチャンピオンなので言うまでもないが、曙選手にも勝った事のある実力派!
何と125キロ差の曙選手からギブアップをとった事もあるという。
曙対青木篤志さんの動画がみたい人もいるだろう。。

きっと曙選手も追悼しているはずだ。




他にも親交のあったお笑い芸人が号泣しながら死を惜しんだ。

 


青木篤志さんの死の直前の2日にツイッターを更新していたが、この最後のつぶやきにファンが「早すぎるよ」など悲しみのコメントを続々アップしている。



 青木さんは2日に更新したツイッターで「無事帰宅。長旅でしたが、明日からオフなのでしっかり次に備えます」とつぶやいたのが最後となってしまった。

 このつぶやきに、ファンは「しっかり次に備えるんじゃなかったのかよ、、、あまりに残念」「長旅からの帰宅だったんじゃないの?なにをもっと長旅に出てるの…」「早すぎます。まだ受け入れられません」「まだまだこれからというのに…悲しすぎます」「次に備えるんだろ!何やってんだよ!」など、やるせない思いが続々と投稿されていた。








心よりご冥福をお祈りします。


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高山喜廣とドンフライが対面!the因縁で起こした奇跡とは? [スポーツ]

高山喜廣と死闘を繰り広げたドンフライが対面した番組が話題だ。


高山喜廣は2017年の試合中に頸髄完全損傷の重傷を負い、現在も闘病生活を送っている。


高山喜廣は首から下が動かない状態での入院生活を続けている。


人気レスラのー高山善廣が、3月22日(金)に放送された『今夜解禁!ザ・因縁』(TBS系)で1年ぶりとなるメディア出演を果たした。



現役時代の高山を知るファンはドンフライとの対面に感動!


高山はthe因縁でどのような奇跡を起こしたのか?



The因縁とは

過去に不義理をしてしまった相手、喧嘩別れした恋人、ふとしたすれ違いで会わなくなった親友など、“因縁”をもつ芸能人同士が対面し、当時抱えていたわだかまりや不満、心の中では思っていたけど口に出して言えなかった言葉など、今だからこそ打ち明けられる気持ちをぶつける番組だ。

過去には元横綱曙がライバルだった元横綱若乃花(花田虎上)が再会し話題にもなった番組だ。






高山とドンフライ
といえばやはり2002年のPRIDE.21だろう。

完全にノーガードでお互いの首を持って殴り合う伝説の試合だ。

この試合は現在でも多くの人に衝撃を与えており、世界中から称賛と驚きを与えている。


高山はドンフライに完敗したが、その勇気と男気ある試合で世間からの評価は抜群にあがったという。


高山は「負けた時に悔しかった!!畜生!」と思っていたが、何やら花道を引き返す時に凄まじい声援の大きさに気がついたという。

「ひょっとして俺は良い試合をしたのか?」そう思ったという。

ドンフライ戦の後に格闘技ファンから「ドンフライとの試合凄かったな!」

「高山!凄いな!応援するぜ」

など明らかにドンフライ戦以前の声援とは違う声援をもらい、ファンも増えたという。


高山喜廣は強面で巨体だが、お茶目な一面も持っており数々のバラエティー番組でも活躍。また俳優としてもドラマや映画などにも出演していた人気タレントでもあった。


しかし高山は首から下が動かない壮絶な闘病生活を送っている。


かつて死闘を繰り広げた因縁のライバルであるドン・フライと17年ぶりに禁断の対面を果たす。ライバル同士だからこそ通じ合う思い……。スタジオが涙した奇跡の復活劇とは!?



番宣や番組では17年ぶりの再会とされているが、
2008年にプロレスで高山善廣とドンフライがタッグを組んで出場している。


しかし、試合途中でドンフライが仲間割れを起こし、ドンフライが敗戦。


更に2013年3月17日の全日本プロレス『2013 プロレスLOVE in 両国 』でのタッグ対決がある。このとき以来であれば6年ぶり。








17年ぶりではないし高山とドンフライに因縁などない。

逆に熱い試合を繰り広げた仲間でもありライバルでもある。


そんなドンフライとの再会は多くのファンが心待ちにしていたはずだ。



しかし、、ドンフライはプロレスラーだ。





いきなり感動の再会などはしない!

再会の前日には

「ヤツは俺の3年をフイにした。明日はその仕返しをしてやる!」と怒りの形相で報復を宣言したのだ!!


なんと試合に勝ったフライだが高山戦後のダメージにより、その後の戦績が悪化した。。

というのだ。


そして再会へ、、


高山の奥さんである奈津子さんに電動ベッドの背を起こしてもらう病室の高山。そこにドン・フライが現れた。

 
フライはいきなり大興奮状態!!





おもむろに服を脱ぎだすと、
「あの試合(2002年6月23日)で肩を壊して、その後手術を4度もした。
腰の手術もした。手術のたびに何週間も動けない生活を強いられてきた」


と、手術跡を見せながら恨み節を連発したのだ!!



高山とドンフライの伝説の試合はドンフライが優勢で勝ったので、ドンフライにダメージはあまりなかったと思われていた。


しかし


試合に勝ったドンフライも相当なダメージを負ったようで、高山への恨みは骨髄に達していたという!!

更にフライは続けた。


「何度も君を恨んだこともあった。あの試合で人生が狂った。君との試合で選手生命が絶たれ、家族にも逃げられたよ」との告白をフライが繰り広げる。


そんな中、過酷なリハビリを乗り切るモチベーションとなったのも、高山との試合だったという





 フライは「(長いリハビリ生活で)絶望のとき、私は人生で一番輝いていた瞬間に支えられていた。君との試合を思い出していたんだ。あの時に戻りたい。その思いでリハビリを乗り越えたんだ。私は君に救われたんだ」。











 現在リハビリ中の高山もブログで「(フライ戦を思い出すと)リハビリ頑張ろうと思える」と綴っていた。


何と
フライが同じ経験を先にしていたのだ!

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 高山も口を開く。

 「僕をロッキー・バルボアにした試合(“王者”への挑戦者が欠場、代理選手が脚光を浴びる)。こないだドンとの試合をパネルにして抱いた。あのときの試合を忘れないように」。



 ファンの間で語り草になっている試合は、両者の中でもかけがえのない試合であったという!!



高山対ドンフライの海外の反応は、高山の勇気を称えるコメントも多かったが、高山を心配するコメントも多かった。

逆にフライを心配するコメントは少なかった。


だから、ドンフライにとっては対高山戦は多くの対戦の一つなのでは?と思うファンも多かったはずた。


それがドンフライにとっても大事な試合だったという。


過去にもドンフライはその事実を語った事はあるが、高山と面と向かって言った事はないだろう。


この素晴らしいシーンに視聴者は感動したのだ。




 高山は
「会えて嬉しいです。自分で勝手に・・・ドンさんは自分の誇りだと。チャンピオンのチャンピオンなので。勝ったのはあなただから」。

高山はドンフライに最大限のリスペクトをしめした。




ドンフライは続けた

「それは違う・・・勝ったのはあなただ」。


フライのこの発言はとても深い。



フライは確かに試合には勝ったが、密かに体はボロボロになってしまった。。そして戦績は振るわず家族も失ったという。(もちろん全て高山のせいではないが)

一方高山は世界中から勇気のあるファイターとして評価をあげた、そして日本では人気者としてタレントとしても活躍していたからだ。





そして再会の仲介人として登場した武藤敬司もまじえてトークを広げた。

武藤敬司もご存知の通り膝に爆弾を抱えている。


そして、みんなボロボロだよという話になった。

 フライ「2002年の(試合の)ダメージが残っている(笑)」。

 高山「I’m sorry.(笑)」。


高山は満面の笑顔だ!とても首から下が動かない人とは思えない目の輝きを取り戻したのだ。

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ところで、the因縁で高山が
起こした奇跡とは?何だったのか?



実は高山喜廣は
回復の見込みなし、、
と診断されていたという。



しかし妻の奈津子さんは

「いま二の腕あたりまで感覚があるところが増えている。回復してるんだと思います。とにかく治るんだ、とにかく動けるようになるんだという強い意志が彼を支えているんだと思います」。



ドンフライと再会した事で起こした奇跡とは言えないが、リハビリ中にドンフライが生きる糧となっていたのは間違いない。


つまり、高山がthe因縁で起こした奇跡とは

「回復の見込みがないにも関わらず、回復してきている」
そして「首から下が動かないとは思えないくらいの目の輝きをした」



からではないか。



 この回復は既に報道されてはいるが、地上波テレビで広く共有されたことは意義がある。

そしてコーナーのエンディングショットでは高山の部屋に飾られたドン・フライのフィギュアが写された。

そのパッケージにはフライが「Stay Tough!(強くあれ)」とサインをしていたのだった。











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羽生結弦の親の凄さとは?家訓は?フィギュアスケートを始めた意外なきっかけとは? [スポーツ]

フィギュアスケートの王子といえば日本が生んだスーパースター
羽生結弦だ。

羽生結弦の強さの一つには

メンタルの強さがある。


なぜあれほどのメンタルが育ったのか?
どんな育ち方をすれば強靭なメンタルが作られるのか?

スポーツ選手のコーチ、指導者は思うだろう、スポーツ選手の指導者だけじゃなく一般家庭の子供を持つ親ならば誰しも気になるだろう。

羽生結弦はくまのプーさんのぬいぐるみが好きという中性的な一面もあり、笑顔は少年のようだ。

しかし競技中、演技中の眼光の鋭さ、研ぎ澄まされた集中力は画面越しに見ている者でさえ「圧」を感じる。


失敗や怪我に動じない、プレッシャーに打ち勝つ凄まじきメンタルの秘密とは?

羽生結弦を育てつ両親の教育とは?
羽生結弦の家訓とは?

  
そしてフィギュアスケートを始めた意外なきっかけとは?

羽生結弦を強靭なメンタルに育てた親はどんな人物なのか?

その疑問に明確に答えられる人は少ない。
なぜなら羽生結弦の親はほとんど、、いや一切メディアや表舞台には出てこないからだ。


しかしメディアに出てこない事で羽生結弦の親についてわかってきた事もある。
それは控えめで謙虚な親
という事だ。




2015グランプリファイナル終了後に記者会見でとある記者が尋ねた。


「わが子を羽生選手のように育てたいというお母さんが多いのですが、どうしたら羽生選手のように育つと思いますか」


この質問はスポーツ選手の指導者が知りたかった質問だろう。

羽生結弦はこう答えた。



「僕は『僕』です。人間は一人として同じ人はいない、十人十色です。僕にも悪いところはたくさんあります。でも悪いところだけじゃなくて、いいところを見つめていただければ、(子供は)喜んでもっと成長できるんじゃないかと思います」


まさにパーフェクトな回答だ。

しかし親の目線で見るならば「それができないから知りたい」はずだ。


そうなると直接羽生結弦を育てた親に話しが聞きたいが羽生結弦の親は表舞台には出てこない。


なぜか?


羽生結弦の親が表舞台に出てこないのは、羽生結弦本人の努力と才能によって脚光を浴びているのであって、親の育て方によるものではない。

と考えているからだそうだ。




控えめでしゃしゃりでない人柄は羽生の生まれ育った故郷仙台の人柄、東北人気質もあるかもしれない。





羽生の出身は仙台市泉区。

家族構成は両親と姉の4人家族

父は中学校の教頭
母は専業主婦

4歳上の姉は、羽生のホームリンクだったアイスリンク仙台の職員として働いている。

一般的な中流階級の上の方くらいの家庭と見られる。

極端な金持ちではないが、フィギュアスケートをやらせているのだから中流階級の
上くらいだろう。県営住宅に住んでいたという情報もある。



中学校の教頭とは立派な職業なので、父親の人徳も影響しているのかもしれない。
羽生結弦の家は県営住宅だという。


関係者は
「羽生家は父親が公務員で貧しくはないけど、カネ持ちというわけでもない。家賃5万円でつつましく暮らしていました。節約のために、つい3年前まで結弦の衣装はお母さんが作っていたんです」



羽生結弦の両親は特別な事は何もしていないという。


羽生結弦の父親は野球をやっていたといい、その影響で結弦の少年時代はボール遊びが好きだったという。

容姿端麗なので女の子に間違えられることもあったが、周囲からは明るくわんぱくに見えていたという。

しかし、羽生結弦には大きなハンデがあった。



そのハンデとは


「喘息」である。



喘息の辛さは喘息持ちなら知っていると思うが急に咳込んだり、眠れない程の咳が出る事も多い。


両親は喘息を克服する目的もありフィギュアスケートを始めたという。


なぜ喘息を治すのにフィギュアスケートなのか?


それは室内競技なのでホコリを吸い込む可能性が低いからだという。


喘息を治す目的で始めたスケートだが才能の片鱗を徐々に見せていったという。
何回転んでも起き上がり果敢に練習したという。


そして体幹もしっかりとしていたという。


フィギュアスケートのおかげで喘息は改善されてきていた、そして羽生結弦が少しフィギュアスケートの練習が嫌になった時期もあったという。


まだ子供なのだから遊びたい気持ちもあるはずだ、当然のことだろう。

そこで羽生の父は野球を勧めたという。



しかし羽生結弦自身が選んだのは

フィギュアスケートだった。


この選択が羽生結弦をフィギュアスケートに気持ちを向けたきっかけかもしれない。。と親戚(父親の妹)は語ったという。


羽生結弦の運動神経と体型はどうやら母親譲りだともその親戚はいう。父親の体型や家系にはないという。



父親の妹は推測するには。


羽生家の家訓とかはとくにないと思われる



子供にやらせるのではなく、子供が関心を持ったことに、可能な限り協力する。子供の『自主性』を尊重するのが、羽生家の教育方針ではと

そして父親は
スケートだけの人間になるな
そう言い続けたという。




ゆずは小学4年生の時にノービス(ジュニアの下のクラス)の全国大会で初優勝。

中学1年では、ノービス選手にもかかわらず、全日本ジュニア選手権で3位に輝いた。

羽生が中学、高校と進学するにつれ、両親は「自主性」を重んじる一方で、スケートだけの人間にならないよう、口を酸っぱくして言い聞かせてきたという。


羽生が通っていた東北高校の校長も

「羽生君は勉強もスケートもきちんと両立していました。やはり親御さんの教えがあったからだと思います。お父さんは『フィギュアだけでなく、勉強もしなければダメだ』と羽生君に常日頃言っていたようで、遠征先にも教科書や参考書を持ち込んで勉強していました。中学のころから成績もよくて、特に理数系が得意でした。お父さんが数学の先生という影響があるのかもしれませんね」


文武両道、羽生結弦の父親の教育方針の凄さかもしれない。


もしフィギュアスケートしかしらなかったら羽生結弦の謙虚さや品格はなかったかもしれない。





そして母親の存在も大きい。




カナダのトロントに母と二人で移住したのだ。

羽生結弦は最初は言葉の壁や生活環境に馴染めず、苦労したという。


更にカナダは肉料理が多く、結弦は食が細いので、外食で胃がもたれることもあった。



そこで、母親のサポートがあった。


家で消化の良い鍋を食べさせるなど、結弦の健康管理には相当気を遣ったようだ。



献身的な母の支えもあり、なんとかカナダでの生活が軌道に乗ると、羽生はオーサーの指導をどんどん吸収し、メキメキと腕を上げていった。



オーサーの指導方法が、羽生の両親の考え方とも合っていたという。

「オーサーは選手とのコミュニケーションを非常に重要視するコーチです。『この技術はこうしないといけない』と決めつけるコーチもいますが、オーサーはまったく逆。言葉を尽くして選手と話して、その選手にあった方法を一緒に探してくれるんです」

リンクの上では、常に射るような眼光で、メンタルの強さを感じさせる羽生。だが、幼いころから羽生を知るスケート仲間は、羽生の中には今も「二面性」があると言う。

「強いゆづと弱いゆづ、その二つです。あれほどの選手になっても、弱いゆづは完全になくなったわけではない—いや、その弱さがあるからこその、ゆづなんです」









羽生結弦は鉄の心臓と思われがちだが、臆病でもあるという



象徴的な出来事が、あの3・11、東日本大震災の日にあった。


地震が起きた瞬間、羽生はアイスリンク仙台で練習中だった。突然すさまじい轟音と共に大きな揺れに襲われると、羽生は先輩スケーターにしがみつき、「やだやだやだ」と叫んだ。先輩が「大丈夫、大丈夫だから」と言っても、ただ泣いて震えていた。


あの地震で平然を保つ人はほとんどいないと思うので羽生結弦も普通のメンタルであるという事だ。

 

リンクの氷は割れ、建物も半壊状態。家族は全員無事だったものの、電気、ガス、水道などのライフラインが寸断され、自宅にも戻れず、家族で4日間、避難所生活を強いられた。



「こんな状況でスケートをやっていていいのか」

恐怖が去った後、羽生を支配したのはそんな感情だった。悩む羽生に前を向かせたのは、母の後ろ姿だったという。


「お母さんはまさに駆けずり回って、結弦が練習を再開できるよう、スケート連盟やコーチにも片っ端から頭を下げて回っていた。こんな時だからこそ、結弦は滑らなければならない。ここでへこたれてはならない。母のその思いが結弦には伝わったのでしょう。『僕は自分のためだけに滑ってるんじゃない』と、彼が口にし始めたのはこの頃からです」


母親の強要ではない「願い」が羽生結弦を奮い立たせた。




羽生結弦の整体師も語る。
羽生結弦本人も立派だが、
やはり両親が立派な方。

いちばん立派なのは、感謝の気持ちを忘れないこと。金メダルを取れば、本人も親も天狗にならない。

感謝の姿勢は、ご両親が羽生君に言葉で教えたわけではないと思います。両親の背中を見て、自然と身についたのでしょう。






様々な試練を経て、現在の羽生結弦がある。決して驕らず、でも信念は譲らない。そんな羽生をつくったのは、決して表舞台に出てくることのない、この両親の教えだったことは間違いない。





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名古屋ウィメンズマラソン。美人は誰? [スポーツ]

名古屋ウィメンズマラソンの結果が注目を集めている。

2019年3月10日 ナゴヤドーム発着で行われた
名古屋ウィメンズマラソンの結果が注目を集めている。

最近のアスリートは美人も多いので、選手のアスリートとしての素晴らしさとプラスして美人を探してしまう人もいるようだ。


良い選手を探すついでに美人は誰?とそんな目線で見る人もいるかもしれない。。



名古屋ウィメンズマラソンは東京五輪のマラソン代表選考会

「マラソングランドチャンピオンシップ」略して(MGC)の出場権を懸けた大会でもあった。

9月15日に開催されるMGCへの切符を掴むのは誰なのか?


42・195キロの熱い走りが期待された。


注目の選手は


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福士加代子(ゼッケン9)、前田彩里(ゼッケン10)、岩出玲亜(ゼッケン11)、上原美幸(ゼッケン12)等だ。



結果としては
ヘラリア・ジョハネス(ナミビア)が2時間22分25秒で初優勝。
残念なが日本人は優勝はできなかった。



日本人トップは既にMGC出場を決めている岩出玲亜(アンダーアーマー)が2時間23分52秒で日本勢最高の5位に入った。
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前田彩里(27=ダイハツ)が2時間25分25秒で日本人4位の10位となり、MGC出場権を獲得した。
健康的な美人です。


 2時間22分48秒の自己記録を持つが、16年に左足首を手術。その後も故障に泣かされてきた。

マラソンに復帰したのは、昨シーズン。15年世界選手権から42・195キロに遠ざかっていたが、1日で60キロを走ってもケロっとしているという天性の長距離体質で、この日は安定したラップを刻んでMGC切符を手にした。

レース後、前田は「MGCを取れてよかった。思ったよりきつかったけど、今の自分は出し切れた」と話した。




大阪国際女子で途中棄権のベテラン福士加代子(ワコール)は2時間24分9秒の8位で出場権を得た。







9位の上原美幸(第一生命)
は154センチで小柄ながら奮闘。そして美人。

人気のありそうな雰囲気を持っている。
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上原美幸は2時間30分14秒以内で走れば「ワイルドカード」で権利獲得となる中、積極的に先頭集団につく走りで9位に入った。2時間24分19秒でMGC出場権を獲得し「30キロまでついていくことができ、離れても粘るレースができた」と笑みがこぼれた。



11位の谷本観月(天満屋)

12位の池満綾乃(鹿児島銀行)もMGC切符を獲得!!

芯の強そうな表情!美人。

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女子の出場権獲得者は計14人となった。

 


どの選手もとても魅力的で引き締まった筋肉美がある。


頑張ってほしい。



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元横綱稀勢の里。最強の親方となれ!!弟弟子の高安よ横綱となれ!! [スポーツ]

大相撲春場所が3月10日から始まる。

注目は貴景勝や高安だ。


元横綱稀勢の里は引退し荒磯親方となった。
その荒磯親方がまだまだ強い!と話題なのだ。

目指すは最強の親方だ!!
最弱の横綱から最強の親方を目指して欲しい!




 荒磯親方(元横綱稀勢の里)が28日、弟弟子の大関高安(28)=田子ノ浦=と2日連続となる三番稽古を行った。

何と!27番取って18勝9敗と圧倒したのだ!

元横綱とはいえ引退した親方がガチンコで現役の大関を力で圧倒したのだから話題にもなる。



元稀勢の里荒磯親方は先場所で現役引退したが、親方となってもまわしを締めてみっちり稽古を続けている。


力は衰えていない。左四つで組み止め、力勝負からの寄り切り。立ち合いで押し込まれながらも、土俵際、重い腰で残して突き落としで何度も逆転した。中盤、9連勝をマークするなど圧巻。スタミナ面でも余力があった。


プレッシャーから解放されてのびのびと相撲がとれているのだろう。


横綱引退の場所はそれはもう酷かった。。

全く勝てる気がしないし、力が入ってないんじゃないか?と思ってしまうくらいの相撲だった。

稀勢の里は残念ながら
『弱い横綱』として多くの人に記憶されてしまった。


しかし散り際でもがく姿から勇気をもらった人も多いはずだ。


多くの一般市民は脚光が当たらない生活をしている。それでも何かに必死になったり没頭したり、挑戦を続ける人はいる。


いつまでも評価があがらなくても、必死に努力して居る人もいる。

時には「もうやめれば?」「もう諦めた方がよい」などと冷たい言葉を浴びさせられるかもしれない。


一般人ならばあまり言われないが元横綱稀勢の里は目の敵のように「もう辞めろ!」「引退してください」と言われていた。

それでも稀勢の里は僅かな自分の力を信じて戦いつづけた。もがいていた。

断崖絶壁で転落しないように。

まだやれる!自分は強い!


そう、言い聞かせていたのかもしれない。

そんなもがく稀勢の里から少なからず勇気を貰った人はいるはずだ。

残念ながら引退してしまったが、、
本当にお疲れ様でしたと頭を下げた人は少なくない。

多くの人は批判したので稀勢の里は「ダサい横綱」だったのかもしれない。




そんな稀勢の里が引退して荒磯親方となり、現役の力士(しかも大関)をコテンパに負かせているニュースが話題となっている。


これは稀勢の里に勇気を貰った人には
本当に嬉しい


弱い横綱だった。

確かに成績は良くなかった、引き際もみっともなかった。


横綱昇進も少し強引だったかもしれない。


それでも横綱だったのだ。


弱い横綱で稀勢の里は終わってしまったが、強い親方荒磯親方としてとことん強くあってほしい。


絶対に高安を横綱に押し上げて欲しい。


そして、高安に「荒磯親方のおかげです」と言って欲しい。

もしも高安が横綱になって、白鵬や鶴竜を圧倒するような無双の横綱になったとしよう。

そしてインタビュアーに
「横綱(高安)、敵わない相手はいますか?」と聞かれたとしよう。


すると高安は「はい、荒磯親方にだけは敵いません」と答える。



もう想像なんだが、そのシーンを思い浮かべるだけで感動してしまう。

弱い横綱稀勢の里はやはり横綱だった!


そう世間に証明できるからだ。










高安との稽古では圧倒したが、高安に立ち合いから一気に土俵際まで持っていかれた時には「おー」と感嘆。

弟弟子の馬力は想定を上回った様子。「(高安は)良かった。勢いもあるし。はまったらいいものあった。攻めが速くなっている。そういうのを目指してほしい」と褒めた。

 自身が引退し、高安を横綱に引っ張り上げることが使命。「高安は強いと思っていい。相手をけん制するとかいらない。頭も付けないでいい。速い攻めで体を預けた方が相手は嫌。そこを伸ばしていけば安定感につながる。東京で(稽古を)やった時より断然良くなっている」と太鼓判を押した。



 29歳となった高安はこれから絶頂期を迎えると予告。「ちょうど熟して花が開く。今まで40、50くらいしか出せない力が70、80、90くらい力が伝わる。これと決めたものを行き当たりばったりじゃなく、確信に変えていくと一日一日成長する」と、自身の経験を踏まえ助言した。







高安が横綱になる事、荒磯親方がまだ強くなる事、最強の親方と言われる事。

それを望む相撲ファンは多いはずだ。



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