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ピザーラ社長の浅野秀則の経歴が凄まじい!鳥肌が立つほど奮い立たされる!! [社長 企業]

社長の経歴凄さを見るのは面白い。
波乱万丈の社長をみると応援したくなる。
今までに書いた社長の経歴など↓
* ドン・キホーテ社長の経歴とは?武勇伝はあるのか?

*すしざんまいの木村社長の経歴、特殊能力が凄い

* ココイチ創業者宗次徳二の人生が凄まじい!雑草魂は雑草を食べていたから

* ユニクロ社長の柳井正の経歴が凄い無個性かつ異端児!

* イオン創業者の岡田卓也の苦労話と岡田元也二代目の苦悩とは?


今回は「ピザーラお届け!」のキャッチフレーズで有名であり人気のピザーラ創業者であり株式会社フォーシーズ会長の浅野秀則の経歴やエピソードを紹介しよう。


浅野秀則の父親は、100年を超える歴史を持つ紙器メーカーの社長だった。
浅野はその御曹司として生まれた、浅野秀則は当然のことながら後継ぎとしての道が約束されていた。

いわゆる”ぼんぼん育ちだった。。何だ面白くない、と思うのはまだ早い波乱万丈な人生はこれから始まる。

高校2年生の時に父親が倒れた。そして紙器メーカーの会社の経営権は親族に移りってしまった。
それからの浅野の生活は日々困難なものになってきた。


ピザーラ創業者の浅野秀則は父親が倒れてからは、財産の切り売 りで食いつないでいたという。

若い頃にこういう境遇になると社会転覆派になりがちだが、浅野は逆で『この野郎、何としてでも再興を果してやるぞ』 と思っていたという。

独立精神が生まれた浅野は、母親が始めた麻雀店を手伝いながら、豊富なアイデアで集客を果たすなど、商売の面白さに目覚める。

そして慶応大学在学中、浅野は自分で旅行代理店を始めた。 何と大学生の内に既に企業をしていた!!。
その理由も面白い。浅野は以下のようにかたっている。

「必死にお金を集めて、初めて行った海外旅行先のハワイに魅了されて、それから毎年行きたいなと。どうするか? 旅行代理店をつくってしまえば、添乗員として行けるわけですよ(笑)。慶応はもちろん早稲田、日大、日本女子大とかいろんな大学に支部をつくった。それでリーダーを決めて、客になる学生を10人集め てこい、そのかわり、集めたヤツの旅費はタダ。で、添乗員として客の面倒も見ろと。話が早くて画期的でしょ?」
多い時は500人、600人と、けっこうな”事業”規模になった。パンフレットやチラシもきちんと制作し、それをメンバーたちが、学校別・時間別に効果的に配付する。
「何のことはない、今、ピザーラでやってることを全部やってたんですよ」
普通の大学生にはない在学中の仰天エピソードだ。

アイデアに富み、生来親分肌な浅野は、この頃から起業家としての片鱗を見せ始めていたのである。


大学を卒業した浅野は、とりあえずは社会勉強だと就職するが、管理的な組織とは全く肌が合わず、わずか3ヶ月で退職。


そして25歳の時、『インフィニティ』というクラブハウスをオープンする。

ところが、オープンして間もなく、浅野は全身を大やけどするという事故に見舞われるのだ。

「ふ と気がついたら、揚げ物をしていた鍋から火が出てる。慌てて、何を思ったか新聞紙をかけたもんだから、火がもっと大きくなって燃え上がった。さらに慌てて 鍋を持ち上げたら、油面が揺れて顔にまともに浴びて……それで熱い!!って床に落としたら、今度は下からブワッと火が上がって全身火ダルマですよ」
浅野は、それでも服を脱ぎ捨て、裸になって燃えている火を踏んだ。奇跡的に消火できたが、浅野自身は肺にまで達する大やけどで、生死の境をさまようことになった。命だけは取り留めたものの、植皮手術で、1年半にもおよぶ療養生活を余儀なくされる。
命がけで守った店も、閉じるしかなかった。

更に浅野に不幸が襲う、療養生活中に母親が末期ガンだと分かったのだ。。



浅野は動けるようになると再起をかけ動き始めた。
資金も投じ、浅野が次に始めた事業はウーロン茶の輸入販売だ。
まだ、ウーロン茶など誰も知らない頃である。そのぶん、時代の先を行き過ぎていた。

結果として商品は全く売れず事業はあえなく失敗、残ったのは借金だけだった。

その借金を返すため、浅野は見よう見まねでラーメン店を始める、浅野のラーメン屋はかなり繁盛したようだ、可能ならピザーラ創業者のラーメンを食べてみたい、、
しかし浅野秀則は
「でも、真夜中に大量のガラを台車に乗せて、ゴミ捨て場に行くたび、これが自分のしたかったことなのか?と疑問がわいてね」
結局、店は人に貸すことにし、以降、浅野は健康食品などを全国行商したり、ビデオ店を始めたりと、商売を転々とする。なりふりかまわず働き続けた、ハングリーな時代だったという。
並大抵のメンタルではそこまでできない。幼少の頃にボンボンだったとは到底思えない底力である。


ピザ屋を始めたのは直観だった。何とエイリアン映画の名作「E.T」からインスピレーションを得たという。

「『E.T.』で、少年たちがデリバリーのピザを待つシーンを観て、これだ!!と。どうしてって、よく聞かれるけど、その頃は本当にハングリーでしょ、毎日いろんなビジネスを考えていたからアンテナが立ちまくっていたんでしょうね」
これもまた見よう見まねで、浅野はピザの生地づくりから研究を始める。同業他社はどこもアメリカの味を目指していた頃だ。
「でもアメリカの味って、ほとんど均一なんですよ。日本はラーメンにしても、北海道から九州までいろいろな味があるじゃないですか。味は差別化できるんだから、俺たちは日本人、特に女性の味覚に合うピザをつくろうと決めたんです」


そ して1987年に、『ピザーラ』第 1号店が誕生。同年、FCの1号店もオープン。以降、積極的なテレビCMが功を奏したこともあり、軌道に乗るのは早かった。何より、「食べ物屋としての基本は絶対にはずさない、コスト的に高くても食材には徹底的にこだわる」という強いポリシーが、その成長を支えてきた。
「ピザーラお届け!」は一気に全国区へ。

ついに97年、『ピザーラ』は宅配ピザ業界のトップに立つ。
振り返ってみれば、数々の苦難や失敗を通じて、浅野はビジネスの核心を全て学んできたのである。ラーメン店を貸したことで FCの基本を、ウーロン茶での失敗からは計画の的確な修正と引き時を、そして、行商経験では消費者の地域性や説得力ある販売方法を。

「独立を考えている人に言いたいのは、ひとつの、そして自分のアイデアに溺れず、常に2枚腰、3枚腰で考えて行動してほしいということ。そのうえで、もう打つ手がなければ、撤退する時期を見誤らないことです。だって、敗者復活戦はいくらでもできるんだから」

敗者復活戦はいくらでもできる!!






浅野.jpg【浅野 秀則氏 プロフィール】

東京都生まれ
100年を超える紙器メーカーの御曹司として裕福な家庭に育つ。

三代目が約束されていたが、父親が倒れたことで生活が一転。

80年、フォーシーズを設立し、ウーロン茶の輸入販売を始めるが失敗。
借金を背負い、ラーメン店、全国行 商、ビデオ店などさまざまな商売を経験。
それらの経験をもとに87年、『ピザーラ』 1号店をオープン。
わずか十数年で売上高、店舗数ともに日本一へと育て上げる。
現在は、ファストフードから高級料亭まで展開。

浅野の挑戦は現在も続いている。

例えば遊園地の富士急ハイランドでは人気アトラクションのひとつ「トンデミーナ」を提供している。また、アトラクション近くのピザーラ店内では、園内限定の長いソーセージを乗せたピザ「トンデミーナ」が販売されている。

さらに2006年10月5日、アーバンドック ららぽーと豊洲に開業した、キッザニア東京内のピザショップのスポンサーとなっており、子供たちによるオリジナルピザの調理体験をサポートをするなどテーマパークへの進出。



ピザとパスタの専門店「トゥ・ザ・ハーブズ(TO THE HERBS)」
宅配寿司チェーンの「柿家鮨(かきやずし)」。
パエリア等を宅配する「VIVAパエリア」など多様な飲食店を運営。

その他マリンスポーツ、「ニッポンカップ国際ヨットマッチレース」の冠スポンサーとなったほか、1996年からはピーター・ギルモアを艇長(スキッパー)としたヨットチーム「ピザーラセーリングチーム」の運営も行っている。


しかし不祥事もあった、これは浅野の不祥事というよりかバカアルバイトのバイトテロが原因だ。

2013年8月24日、フランチャイズ店舗のピザーラ東大和店のアルバイト従業員2名(いずれも未成年)が店内のシンク・冷蔵庫に入っている画像がインターネット上に公開されていることが、外部からの通報により発覚した[。同日に当該従業員が携帯電話向けブログに投稿したものが(第三者によって)ツイッターや掲示板等に転載されたと見られ、(運営会社の)フォーシーズは事実関係を確認の上、翌25日東大和店を営業停止とし、保存食材の廃棄および当該シンク・冷蔵庫の消毒清掃を実施した。

更に、同30日時点でこの2名が解雇されたことが判明した。
ピザーラ東大和店のフランチャイジーだった企業はその後信頼失墜に陥り、2015年10月に事業停止に追い込まれ、2016年7月27日に東京地方裁判所から破産手続開始決定を受けた。

また当該従業員らは2013年8月23日未明、西友河辺店(東京都青梅市)においても食品陳列棚等に侵入し、その画像をブログに投稿していた事が判明している。


まさにバイトテロでバカッターの被害だった。しかし面接時と普段の勤務態度でアルバイトの本質を見抜き監視するのも社員の仕事教育であり、責任は会社になってしまう。



以上のようにピザーラ創業者の浅野の経歴・エピソードはすごかった。


以下は浅野秀則の経歴まとめ

100年を超える紙器メーカーの御曹司として生まれ、ボンボン育ち

高2のとき父親が倒れて経営権が親族に移る

慶応大学入学、卒業

商社に就職するも3カ月で辞める

25歳のときクラブハウスを開く

家事で大やけどして生死の境をさまよい1年半植皮手術で療養生活

療養生活中に母親が末期ガンだと分かる

ウーロン茶輸入販売、ラーメン屋、健康食品販売、レンタルビデオ屋やってみたり10種の業種を転々とする

借金が1000万円にもなり家を失いかけた

E.T.を見てひらめきピザーラ(会社名フォーシーズ)を開業

紆余曲折を経て業界1位の宅配ピザチェーンになる

フォーシーズはピザーラの他に42の業態を持ち全て飲食業で幅広い業態を運営する




バイタリティ凄い


敗者復活戦はいくらでもできる!!!





ピザーラ社長の浅野秀則の経歴が凄まじい!鳥肌が立つほど奮い立たされる!!:B-BOYが発信する生活ニュース:So-netブログ
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ピザーラ社長の浅野秀則の経歴が凄まじい!鳥肌が立つほど奮い立たされる!! [社長 企業]

社長の経歴凄さを見るのは面白い。
波乱万丈の社長をみると応援したくなる。
今までに書いた社長の経歴など↓
* ドン・キホーテ社長の経歴とは?武勇伝はあるのか?

*すしざんまいの木村社長の経歴、特殊能力が凄い

* ココイチ創業者宗次徳二の人生が凄まじい!雑草魂は雑草を食べていたから

* ユニクロ社長の柳井正の経歴が凄い無個性かつ異端児!

* イオン創業者の岡田卓也の苦労話と岡田元也二代目の苦悩とは?


今回は「ピザーラお届け!」のキャッチフレーズで有名であり人気のピザーラ創業者であり株式会社フォーシーズ会長の浅野秀則の経歴やエピソードを紹介しよう。


浅野秀則の父親は、100年を超える歴史を持つ紙器メーカーの社長だった。
浅野はその御曹司として生まれた、浅野秀則は当然のことながら後継ぎとしての道が約束されていた。

いわゆる”ぼんぼん育ちだった。。何だ面白くない、と思うのはまだ早い波乱万丈な人生はこれから始まる。

高校2年生の時に父親が倒れた。そして紙器メーカーの会社の経営権は親族に移りってしまった。
それからの浅野の生活は日々困難なものになってきた。


ピザーラ創業者の浅野秀則は父親が倒れてからは、財産の切り売 りで食いつないでいたという。

若い頃にこういう境遇になると社会転覆派になりがちだが、浅野は逆で『この野郎、何としてでも再興を果してやるぞ』 と思っていたという。

独立精神が生まれた浅野は、母親が始めた麻雀店を手伝いながら、豊富なアイデアで集客を果たすなど、商売の面白さに目覚める。

そして慶応大学在学中、浅野は自分で旅行代理店を始めた。 何と大学生の内に既に企業をしていた!!。
その理由も面白い。浅野は以下のようにかたっている。

「必死にお金を集めて、初めて行った海外旅行先のハワイに魅了されて、それから毎年行きたいなと。どうするか? 旅行代理店をつくってしまえば、添乗員として行けるわけですよ(笑)。慶応はもちろん早稲田、日大、日本女子大とかいろんな大学に支部をつくった。それでリーダーを決めて、客になる学生を10人集め てこい、そのかわり、集めたヤツの旅費はタダ。で、添乗員として客の面倒も見ろと。話が早くて画期的でしょ?」
多い時は500人、600人と、けっこうな”事業”規模になった。パンフレットやチラシもきちんと制作し、それをメンバーたちが、学校別・時間別に効果的に配付する。
「何のことはない、今、ピザーラでやってることを全部やってたんですよ」
普通の大学生にはない在学中の仰天エピソードだ。

アイデアに富み、生来親分肌な浅野は、この頃から起業家としての片鱗を見せ始めていたのである。


大学を卒業した浅野は、とりあえずは社会勉強だと就職するが、管理的な組織とは全く肌が合わず、わずか3ヶ月で退職。


そして25歳の時、『インフィニティ』というクラブハウスをオープンする。

ところが、オープンして間もなく、浅野は全身を大やけどするという事故に見舞われるのだ。

「ふ と気がついたら、揚げ物をしていた鍋から火が出てる。慌てて、何を思ったか新聞紙をかけたもんだから、火がもっと大きくなって燃え上がった。さらに慌てて 鍋を持ち上げたら、油面が揺れて顔にまともに浴びて……それで熱い!!って床に落としたら、今度は下からブワッと火が上がって全身火ダルマですよ」
浅野は、それでも服を脱ぎ捨て、裸になって燃えている火を踏んだ。奇跡的に消火できたが、浅野自身は肺にまで達する大やけどで、生死の境をさまようことになった。命だけは取り留めたものの、植皮手術で、1年半にもおよぶ療養生活を余儀なくされる。
命がけで守った店も、閉じるしかなかった。

更に浅野に不幸が襲う、療養生活中に母親が末期ガンだと分かったのだ。。



浅野は動けるようになると再起をかけ動き始めた。
資金も投じ、浅野が次に始めた事業はウーロン茶の輸入販売だ。
まだ、ウーロン茶など誰も知らない頃である。そのぶん、時代の先を行き過ぎていた。

結果として商品は全く売れず事業はあえなく失敗、残ったのは借金だけだった。

その借金を返すため、浅野は見よう見まねでラーメン店を始める、浅野のラーメン屋はかなり繁盛したようだ、可能ならピザーラ創業者のラーメンを食べてみたい、、
しかし浅野秀則は
「でも、真夜中に大量のガラを台車に乗せて、ゴミ捨て場に行くたび、これが自分のしたかったことなのか?と疑問がわいてね」
結局、店は人に貸すことにし、以降、浅野は健康食品などを全国行商したり、ビデオ店を始めたりと、商売を転々とする。なりふりかまわず働き続けた、ハングリーな時代だったという。
並大抵のメンタルではそこまでできない。幼少の頃にボンボンだったとは到底思えない底力である。


ピザ屋を始めたのは直観だった。何とエイリアン映画の名作「E.T」からインスピレーションを得たという。

「『E.T.』で、少年たちがデリバリーのピザを待つシーンを観て、これだ!!と。どうしてって、よく聞かれるけど、その頃は本当にハングリーでしょ、毎日いろんなビジネスを考えていたからアンテナが立ちまくっていたんでしょうね」
これもまた見よう見まねで、浅野はピザの生地づくりから研究を始める。同業他社はどこもアメリカの味を目指していた頃だ。
「でもアメリカの味って、ほとんど均一なんですよ。日本はラーメンにしても、北海道から九州までいろいろな味があるじゃないですか。味は差別化できるんだから、俺たちは日本人、特に女性の味覚に合うピザをつくろうと決めたんです」


そ して1987年に、『ピザーラ』第 1号店が誕生。同年、FCの1号店もオープン。以降、積極的なテレビCMが功を奏したこともあり、軌道に乗るのは早かった。何より、「食べ物屋としての基本は絶対にはずさない、コスト的に高くても食材には徹底的にこだわる」という強いポリシーが、その成長を支えてきた。
「ピザーラお届け!」は一気に全国区へ。

ついに97年、『ピザーラ』は宅配ピザ業界のトップに立つ。
振り返ってみれば、数々の苦難や失敗を通じて、浅野はビジネスの核心を全て学んできたのである。ラーメン店を貸したことで FCの基本を、ウーロン茶での失敗からは計画の的確な修正と引き時を、そして、行商経験では消費者の地域性や説得力ある販売方法を。

「独立を考えている人に言いたいのは、ひとつの、そして自分のアイデアに溺れず、常に2枚腰、3枚腰で考えて行動してほしいということ。そのうえで、もう打つ手がなければ、撤退する時期を見誤らないことです。だって、敗者復活戦はいくらでもできるんだから」

敗者復活戦はいくらでもできる!!






浅野.jpg【浅野 秀則氏 プロフィール】

東京都生まれ
100年を超える紙器メーカーの御曹司として裕福な家庭に育つ。

三代目が約束されていたが、父親が倒れたことで生活が一転。

80年、フォーシーズを設立し、ウーロン茶の輸入販売を始めるが失敗。
借金を背負い、ラーメン店、全国行 商、ビデオ店などさまざまな商売を経験。
それらの経験をもとに87年、『ピザーラ』 1号店をオープン。
わずか十数年で売上高、店舗数ともに日本一へと育て上げる。
現在は、ファストフードから高級料亭まで展開。

浅野の挑戦は現在も続いている。

例えば遊園地の富士急ハイランドでは人気アトラクションのひとつ「トンデミーナ」を提供している。また、アトラクション近くのピザーラ店内では、園内限定の長いソーセージを乗せたピザ「トンデミーナ」が販売されている。

さらに2006年10月5日、アーバンドック ららぽーと豊洲に開業した、キッザニア東京内のピザショップのスポンサーとなっており、子供たちによるオリジナルピザの調理体験をサポートをするなどテーマパークへの進出。



ピザとパスタの専門店「トゥ・ザ・ハーブズ(TO THE HERBS)」
宅配寿司チェーンの「柿家鮨(かきやずし)」。
パエリア等を宅配する「VIVAパエリア」など多様な飲食店を運営。

その他マリンスポーツ、「ニッポンカップ国際ヨットマッチレース」の冠スポンサーとなったほか、1996年からはピーター・ギルモアを艇長(スキッパー)としたヨットチーム「ピザーラセーリングチーム」の運営も行っている。


しかし不祥事もあった、これは浅野の不祥事というよりかバカアルバイトのバイトテロが原因だ。

2013年8月24日、フランチャイズ店舗のピザーラ東大和店のアルバイト従業員2名(いずれも未成年)が店内のシンク・冷蔵庫に入っている画像がインターネット上に公開されていることが、外部からの通報により発覚した[。同日に当該従業員が携帯電話向けブログに投稿したものが(第三者によって)ツイッターや掲示板等に転載されたと見られ、(運営会社の)フォーシーズは事実関係を確認の上、翌25日東大和店を営業停止とし、保存食材の廃棄および当該シンク・冷蔵庫の消毒清掃を実施した。

更に、同30日時点でこの2名が解雇されたことが判明した。
ピザーラ東大和店のフランチャイジーだった企業はその後信頼失墜に陥り、2015年10月に事業停止に追い込まれ、2016年7月27日に東京地方裁判所から破産手続開始決定を受けた。

また当該従業員らは2013年8月23日未明、西友河辺店(東京都青梅市)においても食品陳列棚等に侵入し、その画像をブログに投稿していた事が判明している。


まさにバイトテロでバカッターの被害だった。しかし面接時と普段の勤務態度でアルバイトの本質を見抜き監視するのも社員の仕事教育であり、責任は会社になってしまう。



以上のようにピザーラ創業者の浅野の経歴・エピソードはすごかった。


以下は浅野秀則の経歴まとめ

100年を超える紙器メーカーの御曹司として生まれ、ボンボン育ち

高2のとき父親が倒れて経営権が親族に移る

慶応大学入学、卒業

商社に就職するも3カ月で辞める

25歳のときクラブハウスを開く

家事で大やけどして生死の境をさまよい1年半植皮手術で療養生活

療養生活中に母親が末期ガンだと分かる

ウーロン茶輸入販売、ラーメン屋、健康食品販売、レンタルビデオ屋やってみたり10種の業種を転々とする

借金が1000万円にもなり家を失いかけた

E.T.を見てひらめきピザーラ(会社名フォーシーズ)を開業

紆余曲折を経て業界1位の宅配ピザチェーンになる

フォーシーズはピザーラの他に42の業態を持ち全て飲食業で幅広い業態を運営する




バイタリティ凄い


敗者復活戦はいくらでもできる!!!